ユーロ・ダンス・インプレッション

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LES RENDEZ-VOUS CHOREGRAPHIQUES DE SCEAUX

レ・ジェモー劇場で毎年行われているダンスフェスティバル。パリ郊外の劇場だが、プログラミングが良いので、要チェック。

カンパニーメンバーを一新したラッセル・マリファント・カンパニー。「チョイス」は2003年に初演され、2009年に改訂、再演された作品。照明とダンスのコラボレーションは、相変わらず見事。傑作「シフト」を連想させる作品だった。光がダンサーを誘導し、ダンサーが光を導く。ブルーとオレンジ色の光の中で、留まる事を知らないダンスが繰り広げられる。そして女性3人が黄色い照明の中で踊ったあと、見事なカットアウトで締めくくる。パーカッションと弦の音楽で盛り上げた「チョイス」のあとは、新作の「アフター・ライト」。エリック・サティの曲が流れ、小さなスポットライトの中のダンサーがゆっくりと踊り始める。モノトーンの花びら、あるいは雲の破片のような映像が床を回り、明かりがゆっくりと広がる中で、ダンサーの手が円を描き、空間が広がっていく。マリファント特有の弧を描く動きの流れに酔いしれる。この部分は、ディアギレフへのオマージュとしてサドラーズ・ウエルズで上演されたパートだ。バラの精が濃厚な香りをゆったりと放つような、そんな印象を持った。次のシーンでは、白い破片が揺らめく中、ダンサーが流れるように踊る。3番目のシーンでは、お琴のような弦楽器の中で男女が戯れる。強い印象が残るというより、優しい流れの中に身を任せているような作品だった。(5月12日LES GEMEAUX劇場)(文中写真(C)DR)

すごく良い作品を創るのに、パリではなかなかお目にかかれない。今回のフェスティバルで上演するとの事で、新作を期待していたのだが、2000年と1989年の作品。不況のせいで、小さなカンパニーには助成金が降りないのが原因で新作を創れないのだろうかと、よけいな推測をしてしまう。不況の波はダンス界を直撃している。さて、「EL CANTO DE DESPEDIDA」は、旅をする女性へのオマージュで、フラメンコのイメージ。小振りの椅子を持ってゆっくり歩く様は旅を運命づけられた人々を連想させ、上方から降り注ぐ光に導かれているようだ。ユニゾンのようでありながら、微妙にシンコペーションする群舞の作りが美しく、きっちり計算された校正が見事。スピーディーで切れのよい動きをするダンサーたちは、強くしたたかで、しかし運命の悲哀を背負って生きている女性たちを描く。体力的にも過酷な振りをさらりと見せるダンサーのレベルの高さには目を見張る。「MARIANA」は、アカペラと強いX型の照明の中、ロボットのような女性から生まれた女の子とその母の愛を描く。女としての強さと弱さ、優しさと暴力性。「女性」というより「女」を描いた作品。2作品ともダンサーが同じだったため、似通ったような印象を受けてしまったが、ドレンテがとらえる女の姿にとても興味を持った。(5月20日LES GEMEAUX劇場)


(C)C.Ganet

正直言って、その容姿からはこれほど繊細で豊かな表現をするダンサーだとは想像もできなかった。どちらかというとごつい顔でがたいもでかい。ところが、手の動きは美しくしなやかで、空を飛びたかったと言いながらするジェスチャーは、鳥そのもの。繊細な動きをしたかと思うと、力強く動き、床を打つ足のリズムが心地よく響く。アクラム・カーン、フォースティン・リニェクラ、ヴィンセント・マンソーの3人の振付家とのコラボレーションだという。床を踏みながら手をひらひらとさせる動きはアクラム・カーン、漂うように踊る部分はフォースティン・リニェクラ、アフリカンダンスはヴィンセント・マンソーの動きだろうか。アフリカ系の作品には奴隷や人種差別の歴史が前面に出てくる事が多くて、どっしりと重くなる事が多いのだが、この作品は3人のタイプの違う振付家が絡んでいるからか、重くならない程度にちりばめられた社会風刺なので、気分よく劇場をあとにする事が出来た。今後の活動を気にしたいダンサーだ。(5月18日アベス劇場)


(C)John Hogg

映像とダンスのコラボレーションと言えば、真っ先に名前が挙がるのが、ホセ・モンタルボとドミニク・エルヴューのコンビ。ダンスはヒップホップがメインになりつつあるが、コンテンポラリーもアフリカンもバレエもある。歌を歌っていたかと思うと、次のシーンではすごい勢いで踊っていたりして、多才なメンバーが繰り広げる一大スペクタクル。ヒップホップだから、音楽はリズムの強いものとは限らない。ダンスも音楽もジャンルを問わずに混じり合い、それがものすごくうまく絡み合っている。映像も然り。セーヌ河岸のブキニストで見つけた古本から夢の中に旅をして、ライオンが出てきたり、パリの街並に巨大な本が出てきたり。映像の中の人や動物との掛け合いも面白い。映像とダンスのコラボレーションが売り物とはいえ、何年もやっていれば新鮮味がなくなることがあり得るが、この二人に関しては、それは当てはまらない。同じ手法なのに、毎回驚きがあり、笑いがあり、ワクワクしてしまう。アイディアの豊富さには脱帽だ。そして何よりダンサーが楽しんで踊っているのが伝わってきて、見ている方までが一緒に作品に参加しているような気になる。こういう元気をくれる作品って、いいなあ。また、片足しかないダンサーが松葉杖を使って、それはそれは素晴らしい動きを見せてくれたのも驚きだ。
一言付け加えるとしたら、初日は劇場スタッフのストライキで中止になった。幸いにも初日だけが公演中止となったのだが、翌日から毎回公演はわざと15分遅らせ、遅らせた理由を場内アナウンス。政府などからの助成金が大幅に削減され、今後のクリエーションが出来なくなる事や、劇場で働く常任スタッフが雇えないために、提供する作品の質が落ちてしまう事への不安を訴えた。芸術の保護を看板にしていたフランスの歴史は終わりを告げようとしているのだろうか。前代未聞のシャイヨー宮劇場でのストライキ。芸術がんばれ! を意味し、このストライキを支持する客席の拍手が少なかったのは、この劇場が金持ち右派に傾いているからだろうか? それともどんなにがんばって抗議しても、助成金の増額は見込めないというあきらめの境地からなのか?ちょっぴり寂しい気分だった。(5月21日シャイヨー宮劇場)


(C)Laurent Philippe

抽象的な流れで、人々は感情なく動き、オブジェがいっぱい出てきて、淡々と事が進み、それなのに最後にふっとメッセージが見えてくる。そしてあか抜けた美術はリッゾーならではのもの。照明の使い方といい、装置といい、色使いといい、控えめなセンスが光る。逆光のライトが消えると見えてくる木の壁の部屋。単調なピアノの音が繰り返される中、オブジェを運び出す人たち。時々人間もオブジェになったりする。老人が長いコードを巻き終えたときに、部屋はがらんどうとなる。密室に滑りこむ人、影のような存在の人と本物の影、老人と若い女性のふれあいの踊り、たくさん置かれた円柱形の柱。部屋という生活空間にいた人が、いなくなる。人がいなくなれば、そこにあったものも片付けられてしまうが、人の気配は残る。そして、その場所に新たな人が来て、それまでとは別の空間を作る。 人の流れと時の流れ。そこにあるものとあったもの。淡々と舞台は進行するので、その場での感動はないが、見終わったときに明確に見えてくるメッセージ。この見せ方が本当にうまいと思う。(5月26日テアトル・ド・ラ・ヴィル)


(C)Marc Domage

私が見た日の主な配役は、ニキヤがアニエス・ルテステュ、ソロルがジョゼ・マルティネス、ガムザッティがエミール・コゼットだった。均整の取れた容姿のアニエス・ルテステュは、昔観たシンデレラでの印象が悪く、演技力を要する作品はどうかと思っていたが、激しい感情を体当たり演技で見せ、私の印象を良くした。ジョゼ・マルティネスは、気の優しい王子様タイプで、ガムザッティとの結婚を否めずに恋人ニキヤを裏切る役所としては最高だと思った。いつも通り何のミスもなくテクニックをこなすところはさすがだ。エミリー・コゼットは、いまいち調子が悪いのか、切れのない重い踊りをしていたのが気になった。しかし、さすがのエトワール、グランフェッテの最後の方でバランスを崩しかけたのを気力で持ち直したのには驚いた。この底力は人並みのものではないと思ったが、紫色の衣装のせいか、ちょっと品がなく見えたのが残念だった。3幕の夢のシーンでの群舞は見事だった。きれいにそろい、非常に美しく、会場からは1幕2幕以上の拍手が沸いたほど。また、この3幕でのニキヤとソローのデュエットは、美男美女の登場できれいにまとまっていた。ただ、いつも必ずといってよいほどオペラ座バレエ団の公演後には、感動と興奮で浮き足立って家路につくのだが、気持ちは良かったが普通の足取りだったのは、全体的にさらりと可もなく不可もなく終わったからだろうか。(5月27日パリ・オペラ・ガルニエ宮)

(C)Sébastien Mathé

なんとアイディアの溢れた作品だったこと! フラメンコと言えば、ギターと歌を中心に血が濃いというか、土臭いダンスが汗を飛び散らかして繰り広げられ、それにつられて観ている方も興奮してしまうという構図が一般的と思っていたのだが、ガルヴァンのこの作品は、彼のダンスの素晴らしさだけでなく、今までに見た事もないようなアイディアと構成の見事さに、ひたすら驚き、感心し続けた感じがあった。しかも上演時間は1時間45分という長さ。音楽はギターだけでなく、バイオリン、ベース、エレキギター、ドラムにサックス。これだけで、伝統的なフラメンコとは違う事がわかる。四角く囲まれた砂場に入り、面を付けたガルヴァンが鳥のような格好をして、砂をまき散らしうなりながら踊る冒頭のシーンで、まず観客は驚かされる。そして、YALDA YUNESという女性の激しい踊りのビデオは、彼女の死へのオマージュ。それを引き継ぐかのようなガルヴァンのサパテアードに会場は釘付けとなった。赤いシャツを着た彼は、今度は闘牛の牛になったのか、黒い台の上に乗り、トランポリンのように跳ねたかと思うと、1人ずつミュージシャンに向かっていく様子は、闘牛が一対一の戦いを挑んでいるかのよう。そして、この黒い台に乗ったまま台を揺らす事によって方向をずらして、一人一人のミュージシャンと対決するというアイディア。ワニのように大きく家を開けたり、体操選手のようにジャンプしてみたり。笑わせたりあっと驚かせたりの大サービス。最後のシーンは棺桶ダンス。ドラキュラが入っているような棺桶の一つをたたいてのパーカッション。中からドラキュラが怒って出てきたらどうしようと思うくらい激しく叩くがこれがなかなか良い音を出している。棺桶を叩いて遊んでいたのが、今度は自分が入ってしまうはめになり、中でがんじがらめになってしまい笑いを誘う。数あるフラメンコ・コンテンポラリーの中でも、これだけ驚きの連続でワクワクした作品を見た事がない。必見!(5月31日テアトル・ド・ラ・ヴィル)

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