ユーロ・ダンス・インプレッション

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フランスとスペインの国境近くの町ビアリッツにあるCCN、ティエリー・マランダン率いるバレエ・ビアリッツによる新作「ノエ」のパリ公演がシャイヨ劇場で行われた。2週間半にわたる上演は、このバレエ団の人気を表している。
「ノエ」つまり「ノアの箱舟」を題材にした人類の歴史を語る壮大な物語を、マランダン特有の抽象的でポエティックな中にさらりと現代への批判を含めた作風に仕上げてあり、ノアとその妻、アダムとイヴ、彼らの子供のカイン、アベル、セト、そして鳩とカラスが物語を語り、総勢22名の大群舞で見せる。
幕開きではカイン、アベル、セトの3人が肩を組んで輪になって踊っていたのが、やがてアベルに対するカインの嫉妬心により、ふたりの激しいデュエットになる。
鮮やかなブルーの床、その床を囲み、ゆっくりと持ち上がる同色のストリングカーテンは、世紀の洪水を表しているのだろう。別にノアの洪水を描いたのではなく、愛、憎しみ、嫉妬などの誰もが持つ感情をつなげることで、人のあり方や歴史、そしてその昔から続く社会を描いている。
作品の中で目を引くのは、やはり22人のダンサーによるマス的な動きと群舞構成の面白さだ。波のように見える動きも、角度と動きを少し変えれば、右向け右の団体に混じることの安全性と、はみ出し者の危険性を暗に示唆しているように見える。マランダンの動きは独特で、バレエのパ・ド・ドゥのムーブメントにコンテンポラリーを混ぜ込み、唐突に入る日常の動きや、動物を真似たような動きにあり、時にこれが滑稽にも見えて微笑ましく、この独特な動きも人気の理由のひとつ。
ノアの箱舟から飛ばした鳩を演じたクレール・ランシャンプトとユーゴ・レイヤーの風に舞うような踊りの軽やかさとは対象に、カインがアベルを殺すラストシーンが、現代への問題提起として心に突き刺さった。優しくも残酷な人の歴史を、絵画のような美しさで描いた秀作だった。(5月11日シャイヨ国立劇場)


©Olivier Houeix

「Repetto, Malandain et la danse」のビデオでは、マランダン・ビアリッツ・バレエ団の作品の抜粋が見られます。ソリスト的存在の兼井美由季さんの踊りもバッチリ!バレエ用品の老舗レペットのトウシューズ制作現場も紹介されています。
https://www.youtube.com/watch?v=zyjL-TACSD8


©Wendy D Photography

世界中が注目する振付家のひとりクリスタル・パイト。昨年パリ・オペラ座で衝撃的なデビューを果たしたのは記憶に新しい。今回は2015年初演の、ジョナソン・ヤングの脚本に振り付けた「Betroffenheit」。イギリスで最も権威のあるとされるローレンス・オリビエ賞を受賞した作品だ。
現実なのか空想なのか、コンクリートの部屋の片隅にうずくまる男の物語は、時空を超えて飛び交う出来事に振り回される。男は監視されているのだろうか、心を見透かしたように話しかけるマイクを通した男の声に、怯え、苛立つ孤独な男。その後ろをそーっと黒子のように歩き、何かを別室に運ぶ人たち、そして小悪魔。それは、男の概念が幻想となって彼に押し寄せているような感じ。心の中に時々現れるイタズラ好きのお茶目なやつが、男をからかっている。そんな混沌の中にかかってきた電話は、友達からのパーティへの誘い。これは現実か? しばらく袖に引っ込んでいた男は、目も覚めるような派手なブルーのスーツにかつらをかぶり、人気ショーの司会者のごとくマイクを持って軽快なおしゃべりを始めた。さっきの男、それとも別人? それとも夢の中の出来事、それとも過去の記憶? 賑やかなショーも、出演者たちがドアを閉めてしまえば、先ほどまでの喧騒は何処へやら、ひとり静けさの中に佇んでいる。孤独。見捨てられたのか、見捨てたのか。陽気なマジシャンの手品を体験すべく、勧められるままに箱の中に入る男。こうして男は周到に作られた罠とは知らずに、あっさりと葬られた。相棒の男は背中を丸めて泣いているけれど、二度と戻れぬ道と知らずに行ってしまった方が楽なのかもしれない。
言葉が多かった1部に比べて、2部はダンスで語る。壁も何もなく、太い柱があるだけの空間で、ダンサーたちは苦痛に顔を歪め、感情あらわに体をくねらせて激しく動いている。そのシーンをぶった切るかのように柱を叩いた男。夢から醒めたかのように静けさを取り戻した人々。彼はまだ生きていたのだろうか。いや、ここは男の精神世界なのだ。落ち着きを取り戻すも、周りはそれを許さない。あるいは、彼自身がかき回しているのかもしれない。小さな箱という閉ざされた暗闇の中で、男の精神は生き続け、果てぬ恐怖と不安にさらされ続けている。それは、黒いチューブがひとりでに動き出す冒頭を彷彿とさせた。

脚本を書き、自ら主演したジョナサン・ヤングの熱演はすごかった。喋り、演じ、踊る。前半1時間強はほぼ出ずっぱりで、衣装を早替えし、精神的に追い詰められた男と、作り上げられた陽気なスターを演じ分ける。そして彼を囲む6人のダンサーたちのレベルの高いこと! ダンステアトル作品だから、演じ、歌い、踊るわけで、コンテンポラリーダンスからタップダンスまでなんでもこなしてしまう。各人の個性をとことん生かしたパイトの振り付けは、陽気なショーダンサー、いたずら好きの小悪魔、踊りのうまい手品師にタップダンサーなどと、ひとり何役をもこなして複雑な男の状況を見事に表している。特にジェルマニー・スピヴェイの踊りは素晴らしく、柔軟でダイナミックな踊りには目を見張るものがあった。才能のある出演者たちに任せるだけでなく、その才能をいかに作品に効果的に引き出すか。その点でもパイトの手腕が光っている。
全員が作品の意図を納得して理解し、そのシーンに必要な要素をきっちりと演じる。技術が高いだけではここまでの完成度はありえない。振付家と脚本家、そして出演者の見事な融合だった。(5月29日Théâtre de la Ville/La Colline Théâtre national)


©Wendy D Photography

バランシン、ロビンス、シェルカウイとジャレという少し唐突な組み合わせは、モーリス・ラヴェルの曲を使った作品ということでつながっていた。ラヴェルの曲と言われて思い浮かべるのが「ボレロ」という人も多いかもしれないが、美しい旋律の曲も多く残している。
まず初めは、曲のタイトルそのままのバランシンによる「ワルツ」。「ノーブルでセンチメンタルなワルツ」と題された第1部は、8つのパートから成り立ち、短いシーンがテンポよく展開される。心地良い風が吹いているのを感じるような振り付けと構成は、まさしくワルツの軽やかで流れる旋律そのままだ。これが1951年に初演された作品とは! いつの時代になっても新鮮さを失わないバランシンならではの、見る側も踊る側をも気持ちよくさせる振り付けに、改めて感動した。
まずは幕開きのマリーヌ・ガニオ、クレール・ガンドルフィ、そして藤井美帆の3人の踊りに吸い込まれる。ボルドー色のドレスの3人は、薄く被せられた黒のオーガンジーを舞い上げて、軽やかでかつ華やかな雰囲気で魅了する。コクのある赤ワインにホロリと酔うような心地の良さ。その中で、しなやかなポードブラと癖のないニュートラルな藤井の踊りに好感を持った。そこにメラニー・ユレルとエマニュエル・ティボーの軽やかなカップルが登場し、ジェレミー・ルー=ケールを相手にしたセ・ウン・パクの踊りにため息が漏れる。3月の日本公演でエトワールに任命されたユーゴ・マルシャンの安定した踊りと、軽やかでキメの細かいパドブレで目を引いたオニール八菜のデュエットは、ゴージャスな配役にさらなる彩りを加えている。爽やかな風が吹き抜けるかのようにダンサーたちが舞台を駆け抜ける様子に、機織りが縦横の糸を組み合わせながら美しい模様を作り出すかのような印象を持った。

純白のドレスに身を包んだレティシア・プジョルと黒のスーツでビシッと決めたカール・パケットが現れ、舞台は貴族の館での華やかな場になった。そこに現れたひとりの男。その場の雰囲気に溶け込むこともなく、異様な雰囲気を漂わせながらじっと立っている。時間が止まったその一瞬に、男は静かな笑みを浮かべながら女に黒いネックレスを差し出した。ためらいながらもそれを受け取り、手袋をはめ、コートを着て、黒い花束を嬉しそうに抱えて踊るプジョル。しかしそれは死への誘いだった。 華やかな場が一瞬にして悲しみに満たされる。死は遠くにあるようで実は身近にあるのだという、人生の儚さが胸に響いた。
プジョルの演技力はさすがで、恋人との幸せに満ちた時間、見知らぬ男の誘いをためらいがちに受け入れ、やがてそれを自分から欲していくという心の変化を豊かな表情で表し、美しいものに惑わされていく女心をよく表していた。また、威圧的で冷酷な「死」を演じたオードリック・ベザールも適役。オペラ座を知り尽くしているデュポン監督故に、ダンサーの個性をしっかり把握した配役は、満足この上なし。


©Laurent Philippe/Opera national de Paris

さて、ロビンスの「En Sol」は、がらりと雰囲気を変えて、カラフルな色に包まれて始まった。群舞の中では、ポール・マルクに注目した。バランシンの「真夏の夜の夢」では妖精の王の役を演じ、今後の伸びを非常に期待していたのだが、テンポが早く細かい動きの連続のこの作品をまだ自分のものに仕切っていない感が残った。
非常に細かいことだがサポートなどがまだ荒く、次のプルミエダンサーに昇進するにはもう少し時間がかかりそうだ。
この作品での見所は、何と言ってもエトワールになりたてのカップル、レオノール・ボーラックとジェルマン・ルーヴェのデュエットだ。近寄り、少し離れ、初々しい男女が、愛し合い、分かち合い、信じ合う美しい踊りで、息のあったコンビではあったが、そこから生きるということ、愛するということの大切さを客席と分かち合うほどの感動はなかった。確かに綺麗にそつなく踊っていたが、まだ若い。エトワールになったからといって、すぐに往年のスターのごとく踊れるわけはないので厳しい批評となってしまったが、エトワールになってからしばらくの間は、気負いや不安などのジレンマに陥ることがあるので、それを乗り越え、多くの経験を積んで成長してもらいたいと願う。


©Laurent Philippe/Opera national de Paris

そして最後はシディ・ラルビ・シェルカウイとダミアン・ジャレの「ボレロ」。クラリネットがボレロのミステリアスな音色を奏で、風車のようにくるりと回った手によって開かれた精霊たちの宴。ふわりと現れたダンサーたちの動きは、天井斜めに置かれた鏡によってまるでダンサーたちが空を舞っているかのようだし、時々鏡が微妙に揺れるせいか、この世とは隔離された世界を見ているような錯覚に陥る。男女共肌色のふわりとした足首までの布を羽織り、高くなったり低くなったりしながくるくると円を描いている。輪廻回生。人の歴史は永遠に続き、生まれ変わる命を表すかのように周り、踊るダンサーたち。彼らをモノトーンの波紋が包み、広がっては消え、鏡によって映し出された現実と虚構の境は混ざり、精霊の宴は続いていく。
螺旋を描き、永遠にとどまることを知らないかのような冒頭のシャルロット・ランソンのソロは出色だった。永遠のスパイラルとはこのことか。ヴァンサン・シャイエやアリス・ルナヴァンなどの初演メンバーがよく踊っていたが、シェルカウイとジャレが当初描いた理想からは少し離れたように感じた。 初演より上手くなっていたかもしれないが、空気と戯れるように踊る意識が少し欠けていたように感じてしまった。(5月16日パリ・オペラ座ガルニエ宮)


©Laurent Philippe/Opera national de Paris

「コンタクト」は演劇要素が強かったけれど、新作はダンスオンパレードで、もちろんいつものユーモアもたっぷり。5月16日に初演されて3箇所目がクレルモン=フェラン。パリよりもリヨンよりも先に見られるとは! 大都市だけが全てじゃないぞ、地方都市も捨てたもんじゃないぞという証拠。お気に入りの劇場がこうして頑張っていてくれるのは嬉しい。プログラムによると、5つの小品集で、上演順序はカンパニーの都合により毎日変わるかもと書いてあるので、半年後のパリではどうなっていることやら。また見に行きたい気分だ。
私が見た日は、男女のデュエットに始まり、装置を移動しついでに踊る太めの黒子の見事なアチチュードターンに驚き、ピアノの弾き語りをしながら踊る多才なダンサーに感心し、ヴィヴァルディの曲に乗って踊るモダンダンス風味アクロバットのデュエットに笑い、バレエのバーレッスンをもじった4人の踊りにドゥクフレ独特のセンスを楽しんだ。そしてトドメは「日本旅行」。日本に住んでいれば当たり前のことも、はたから見れば驚きの連続らしい。その驚きを作品にされて、見ているこっちが驚いた。まさかウサギのぬいぐるみが「シブ〜ヤ」「イケブクロ〜」と叫びながら、駅の発車音楽に合わせて踊るとは想像もしていなかった。この音楽を聞くとラッシュを思い出す私にとっては、驚きと感心の瞬間で、このウサギを思い出しながら電車に乗れば、おしくらまんじゅうも楽しくなるかも。キッチュと伝統、最新テクノロジーが混ざり合う日本を見事に描写しているけれど、そこにちくりと皮肉も見える。さすがドゥクフレ。この感覚が好きなのだ。
さすが人気のカンパニーはツアーをしまくっていて、例えばリヨンのメゾン・ド・ラ・ダンスでは9月20〜29日まで、シャイヨ国立劇場では12月29日から1月12日まで等。カンパニーや劇場のHPでビデオが見られるけれど、あいにく「日本旅行」はアップされていないので、実際に劇場に足を運ばないと見られません。(6月1日La Comédie de Clermont-Ferrand)


©Charles Fréger

ITに長けてしまっているというのは、時にマイナスに働くこともある。この作品のプロモーションビデオを見て、期待しすぎたのがいけなかったこともある。始まりの見せ方はうまいと思った。文字が浮かび上がり、不安定に揺れるライトの中で、フラッシュが焚かれ、ある瞬間に人が浮かび上がった。そして舞台中央部分が盛り上がっていることにも気づいた。一瞬の暗闇の後に状況は少し変わり、位置がずれ、もうひとりの人間が現れた。ひとつの動きを、身体の奥底で感じたものだけを皮膚に感じ、それを発散するような、奥深い動きが感じられたのだが、それが発展しない。
世界遺産のショーヴェ洞窟、現存する最古の壁画にインスピレーションを得たといい、舞台の起伏や、洞窟の入り口を模した美術と、古代をイメージさせる衣装などはわかるが、ムーブメントからは3万年前の、あるいは3万年前から続く人類のアートについてのメッセージは感じられなかった。
ただ、公演後に行われた同メンバーによるコンサートは非常に面白かった。コンピューターを使った電子音楽を演奏しながら踊るのだが、踊りと音楽が見事に合致したムーブメントが面白く、あっという間の40分。パフォーマー集団としてのインパクトは強い。(5月20日T2G ジュヌヴィリエ劇場)


©john nguyen


©Julien Benhamou/Opera national de Paris

5月13日、それはジェレミー・ベランガールの10年にわたるオペラ座のエトワールとしての座の最終日。「カニングハムとフォーサイス」と題された演目上演期間の後半で、たった5回だけ上演された。これまでのエトワール引退公演とは趣を変え、オペラ座のレパートリーを踊るのではなく、ソロで即興を踊るという斬新なものだった。タイトルは「Scary beauty」、渋谷慶一郎のピアノ生演奏とコンピューターによる音楽、そしてビジュアル参加のアドリアンM&クレールBの映像が交差する中での即興は、フランス人に言わせると非常に日本的で、能のような印象を持ったという。
2015年以来、渋谷とベランガールのコラボレーションは続いており、今後の展開が期待されている。


©Julien Benhamou/Opera national de Paris

     

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