ユーロ・ダンス・インプレッション

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2004年

Archipelagoとは諸島のことで、この作品はガーナでのレジデンスの後に創られたという。大きな木の前に座り、木漏れ日を心地よく受けながら自然と湧き出る歌を口ずさむ黒人女性。ガーナの繁華街の様子、電信柱以外に建っているものがない広大な土地。映像が我々を旅させる一方で、ステージではホリゾントの後ろから当てられる照明にシルエットとなった2人の影が重なり、離れるモノクロのイメージ。そして身体を極度に緊張させて苦しむような動作。その一方で、何かを探すように遠くを見つめゆったりと心地よく身体をくねらせる人は、夕焼けのオレンジのイメージ。色彩的にはきれいなのだが、ここから映像として流れるイメージとの関連性は見えて来ない。ただ印象に残ったのは、振付けをしたフランク・ミケレッティ自身の踊り。コンテンポラリーとヒップホップをミックスした、それはそれはなめらかなムーブメントで、床を滑るように移動し、身体を器用に回転させる。これには会場の全ての人が見とれたと思う。また、彼と黒人ダンサーの男の戦い、行こうとする人と、それを阻止する男。暴力的なまでの駆け引きの後にうっすらと笑みを浮かべる黒人。遊びなのか本気なのか。このシーンは見応えがあったし、後半の中川郁英の踊りもスピードと安定したテクニックで観客を魅了した。面白いシーンはあるにも拘らず、テーマが見えて来なかったのが消化不良の原因だった。(12月8日メゾン・デザール・クレテイユ)


(C)Laurent Thurin Nal

ニコラ・ル・リッシュが急遽怪我で降板したために、シュトゥットガルド・バレエ団のエヴァン・マッキーが駆けつけ、たった1週間のリハーサルの後にオネーギン役で初日から5公演をこなすという異例の事態で始まった。パリ・オペラ座で踊るのは初めてというマッキーは、きりっとした顔立ちで上から見下ろすような表情は、威圧感を持って舞台を制し、プライドの高さと、決闘の後にそれまでの冷酷な態度からは想像もつかない後悔の念に崩れる姿、そして再会したタチアナへの激しい恋慕というオネーギンの人物像をみごとに表現し、しかも安定したテクニックでパリジャンを虜にした。オペラ座とは雰囲気を異にするところが効果を出していたようにも思う。そんなオネーギンに一目惚れしてしまうタチアナ役のオーレリー・デュポン。2児の母となった身体は、少女というには少し厳しいが、そこはさすがのデュポン、演技でカバーする。そして、3幕でグレーミン公爵夫人となったデュポンは、気品と美しさに溢れた女性そのもので、まさに彼女の本来の姿をここで発揮する。初顔合わせ、しかもたった1週間のリハーサルだったからか、リフトのわずかなタイミングのずれが気になった1幕だったが、3幕に入るとマッキーの激しい感情に伴う動きがデュポンを刺激したのだろう、2人の壮絶なデュエットは息をのむほどの緊迫感に溢れていた。マッキーに白羽の矢を立てたオペラ座には先見の明があったし、要請を受けてたった1時間で、オネーギンの衣装だけをトランクに入れてパリに向かったマッキー、そして全てを受け入れたデュポンと、裏話はつきないが、これは見事なコラボレーションだった。一方、オルガ役のミリアム・ウールブラームの表情が少し雲っていたのが気になったが、恋人のジョシュア・オファルトは、伸びのある丁寧な踊りに好感が持てる。グレーミン公爵のカール・パケットは、出番は少なかったが、締めるところはちゃんと締めるさすがのエトワール。悲劇として描かれている物語だが、2幕のパーティーのシーンで、若者に混じって乳母の夫などの老人カップルの演技に思わず笑ってしまった。これはオネーギンの性格を反映すると同時に、場を盛り上げるアクセントになっている。ユーモアを忘れないクランコのセンスが好きだった。(12月11日オペラ座ガルニエ宮)


(C)Michel Lidvac/Opéra national de Paris

ヌレエフ版のシンデレラは、ハリウッドが舞台で、映画監督にスカウトされてデビューし、スターと恋に落ちるという現代版。といっても、1986年の創作時には新鮮だったが、今となってはレトロに近い。ニコラ・ル・リッシュが舞台上で怪我をして降板したためにキャストが変わり、レティシア・プジョルのシンデレラを見るはずがマリー・アニエス・ジロに替わっていた。ジロは大柄な上に、エトワールのオーラを放っているので、いくら地味な衣装を着ても目が行ってしまい、継母と意地悪姉妹にいじめられていても現実感がないのが気になったが、チャップリンの物まねをして踊るシーンは、水を得た魚のよう。スターになってしまえば彼女の独断場で、そのダイナミックな踊りと、安定したバランスに魅了されてしまう。継母役のオーレリアン・ウエットは柔らかい甲でトウシューズを履きこなし、成金マダムを好演。意地悪姉妹のアマンディーヌ・アルビッソンとサブリナ・マレンのへたうま踊りに会場は沸いた。ストーリーは展開し、場面はどんどん変わるものの、さらりと通り過ぎる感じで感動的な場面を作り出すことはないので、つい見逃してしまいがちだが、2場の夏を演じたエヴ・グリンシュタインのソッテの高さと、プルミエール・ダンスーズに昇格したアリス・ルナヴァンが安定していたのが印象的。スター役のフロリアン・マニュネは、甘いマスクと品のよい踊りでよく演じているが、いまいちジャンプの高さに欠けるのが惜しい。撮影現場のシーンでは、監督と助手のでこぼこコンビや、囚人と看守のおいかけっこ、フランス貴族のドタバタ劇や、キングコングまで出てくるし、シンデレラ探しでは中国やロシアのバーに行ったりと、ユーモアたっぷりの演出に笑いが漏れる。そしてサクセスストーリーの締めは、風になびくショールを掲げて天高く舞うサンドリヨン。森英恵のすっきりした衣装がとても清々しく感じられた。(2011年12月13日オペラ座バスティーユ)


(C)Sébastien Mathé/Opéra national de Paris

これはまさしくレヴォリューション、革命だった。2時間以上の公演は、あり得る。しかし、ここまでミニマルで、ダンサーにも観客にも波紋を投げ掛けた作品も珍しい。12人の黒い服に身を包んだ女性ダンサーが、 床から天井に固定されたステンレスの棒の回りを6歩で1周すること15分。しかも音楽はラヴェルのボレロの最初のイントロ、6×12個間の繰り返し。誰でも知っている曲なので、頭の中でイントロのあとメロディに入るのに、現実はメロディなしのイントロの繰り返しのみ。音もダンスも全く変わらない状態が15分続くというのは、結構ストレスがたまるものだ。とにかく長い。2時間この状態なのではないかという不安が横切り、さらにストレスが増してくる。しかも、我慢しきれなくなった観客が野次を飛ばす始末。その野次に怒る客との言い合いまで聞こえてくる。しかし、とにかくひたすら我慢、我慢。忍耐力を試されているようだ。その後、ようやく数人の動きがずれ始め、速度が変わり、そしてもとの全員が同じ速度で回るだけの動きへと戻る。また次のずれが生じ、動きが加わり、速度が変わる。ムーブメントのモチーフは変わらず、組み合わせが少し変わり、その繰り返しとなる。棒を中心にまわり、腕で引っ張り、重心を移動させ、体重をかける動きを2時間繰り返したらどうなるか。一方、音楽構成も素晴らしく良くできていた。かすかに流れるメロディは、メインのリズムとは微妙にずれている上、いくつかの音が重なり消えていくため、空耳かと思ってしまう。しかし、これが徐々にはっきりと聞こえ、しかもリズムとメロディが一致する頃には、見る側の心も高揚しているというのは、観客の深層心理を見計らってのことだろう。そして、曲が盛り上がる頃、ダンサーの疲れが極致に達したのであろうか、トランスに近い状態のダンサーが出てきて、かけ声とも気勢とも奇声ともつかない声を発し、目がもうろうとし始め、腕が延びきらなくなる人、遅れる人、振りを間違える人も出て来て、それまでの一糸乱れずの群舞に乱れが生じてくる。そして音楽が最高潮に達して終わったとき、ダンサー達は完全に抜け殻状態、もう踊るのも嫌だという極限にまで来ている。 ここまで踊りきったダンサー達に、思わずブラボーと叫ぶ。カーテンコールで微笑む体力も残っていないダンサー達。2009年に初演されて以来評判を呼び、多くの劇場で上演されている理由がよくわかる。舞踊史に残る作品だといっても大げさではないと思う。YouTubeでも見られるが、これは実際に見ないと作品の価値が全くわからない。覚悟を決めて見に行ってください。(2011年12月14日メゾン・デザール・クレテイユ)


(C)Tommy Pascal

シャイヨー劇場のホールで行なわれた公演は、たくさんの足を持った流線型の台( R&Sie(n) アーシテクツ/フランソワ・ロッシュ、ステファニー・ラヴォー、木内俊克製作)の上で始まり、やがて観客の間を縫って行なわれた。手をふるわせたり、襟で顔をあおいだりという日常の動きやベースの流れは決まっているものの、細かいところは即興に近いので、ダンサー達の無言の会話が面白い。食事をとっている人のテーブルの上を歩き、その横ではウエイターが会計をしていて、日常と非日常が混ざり合う不思議な空間。5人のダンサーの他に多くのアマチュアダンサーも途中から参加。誰が観客で誰が演じる側なのかの区別がつきにくいので、隣の人が急に踊り始めたりするのもちょっとしたサプライズ。また、ホールからはエッフェル塔が真正面に見えるため、シャンパンフラッシュとなると同時にホールの照明が消え、エッフェル塔が浮き上がるという演出も粋だ。ホールを所狭しと移動するプロのダンサーに混じってアマチュアダンサー達が動くのも、踊りは日常に存在していることを改めて感じさせてくれたのと、彼らが楽しそうに踊っているのを見ると、こちらもうれしくなる。そして、これから始まるフォーサイス・カンパニーの公演を観に階下に下りるというのは、何とも気持ちのよいものだった。(2011年12月16日シャイヨー宮劇場)

今のフォーサイスに振付けを期待してはいけなかったのだ。つい昔の作品を思い出してしまい、期待がはずれたと思ってしまう。しかし、そうではない。彼は、ダンスだけでなく、舞台空間を支配しているのだ。たくさんの蛍光灯に照らし出されたむき出しの舞台。グレーのリノの上に置かれたベニヤ板が3枚。この板を移動させる人が2人とその間を這う男がひとり。「無秩序の中で」と書かれたベニヤを持って叫ぶ男。プログラムによれば、16世紀のエリザベス王朝時代の演劇風のしゃべりをしているそうだ。聞き取れそうで聞き取れない言葉。板を蹴り、がたがたいわせながら走る人達。意味がありそうでなさそうな暗転。静かに移動して、また暗転。完全暗転と一部の光りを残した暗転。この微妙さがフォーサイスらしい。日常の格好をした人と、銀行強盗のようなマスクをつけた人、昔の貴族の襟宛を付けた人。先ほどの「無秩序」という言葉通りの舞台。でも無法地帯に見えてちゃんと構成されているところがフォーサイスなのだ。ベニヤ板を無造作に放り投げて、家の出来上がり。人に立てかけて壁の出来上がり。何でもあり状態のあと、整然と並び、板を手にしたダンサー達。ピアノを弾くように滑る手。欲をいえば、平面の舞台よりも観客が移動できる美術館などでの空間演出の方が、彼の力を発揮できるのではないかと思った。この公演の前にフランドル王立バレエ団がフォーサイスの「ARTIFACT」(1984年)と「CZAR」(1988年)を踊り絶賛を浴びた。では、20年後にこの作品はどのように評価されるのだろうか。 (2011年12月16日フェスティバル・ドートンヌ/シャイヨー宮劇場)


C'MAGIC/104

コンテンポラリーダンスから、ちょっと目先を変えてマジックサーカスを見に行った。年末には夢想に浸るというのもよい。パリ市のアートスペース104では、C'MAGICと題してカンパニー14:20特集。インスタレーション、パフォーマンス、本公演、そして平行して行なわれたエクスポジションのIN_PERCEPTIONでも、騙し絵風の展示等があり、優に3時間は楽しめる。入り口付近のホールでは、アマチュアダンサー達がヒップホップの練習をしていたり、段ボールでできた迷路に迷い込んでみたり、ビデオを見たり、アートショップをのぞいたり、エマウスで掘り出し物を見つけたりと、ここ104はアートの新名所と言えるので、機会があれば足を運んでみる価値はあると思う。7番線のRIQUETから歩いて5分。あまり治安の良い場所とはいえないが、RIQUETからなら近いので問題なし。
まず、9月から2012年3月まで行なわれているエクスポジションの IN_PERCEPTION。金沢の21世紀美術館の「プール」という作品で有名なレアンドロ・エーリッヒは、「建物」と題して、パリの建物の外観を床に再現。その向かいには45度の角度で鏡が設置されているので、建物の窓に寝転がれば、鏡に映る自分の姿は窓からぶら下がる形となる。これは友人と遊ぶのにはうってつけ。日本でも2006年にこのシリーズの日本版を展示したらしい。2008年の「試着室」は、中に入ればどこまでも続く試着室に、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。昔、遊園地で入ったマジックミラーを思い出した。アン・ヴェロニカ・ジャンセンズの「104.0.2」は、白と赤の濃霧の世界を作り出した。係員に楽しんで来てね! と明るく押し込まれたのが白の世界。バタンとしまったドアの音が響いた後は、無音と真っ白で何も見えない空間。いや、遠くで誰かが話しているけれど、どこにいるのかわからない。何しろ30センチ先しか見えないのだから。おそるおそる進んだら、いきなり人とすれ違い、そのむこうに赤い部屋が見えた。ここは真っ赤。それだけ。さて、ここからどうやって脱出するか? これが困難だった。出られなくなったらどうしようという不安と焦りで、パニックに陥る直前にドアを見つけ、外に出た。ほっ。2012年には大分県別府市で混浴温泉世界というのが開催され、彼女も出展するそうだ。アートは体験して感じるものだと実感。これから見るカンパニー14:20も参加している。「ELIPSE」は、大きな3面のスクリーンにぼんやりと人の動きが映し出されたり、強いスポットが会場を回り、自分の影がぐるぐると回るという展示。もうひとつの「IMPRESSIONS」は、大きなキューブ型の箱の一方から入ると、自分の姿と動いた軌跡が白く表示される。ところがもう一方の反対側の入り口から入ると、動いている人がガラス越しに見えると言うもの。お互いは見えないようになっているので、白い影を作って遊んでいる姿は誰にも見られてないと思うと大間違い。はたからそれを見て楽しんでいる人がいるのです。今度は、このカンパニーのパフォーマンス「コンステラシオン」。タイトル通り、星に見立てた白く発光する小さなボールが空中を浮遊するのを見るのは、プラネタリウムのよう。リクライニングシートに座り、上を見上げれば、たくさんの小さな光りが、あるときは速く、いくつかはゆっくりと、またはポンポンと飛び跳ねながら空中散歩している。流星群のように流れたかと思えば、一瞬にして消えてしまったり、花火のように天高く飛んだり、流れるピアノのBGMにどこか別の次元に紛れ込んでしまったよう。リラックスして、さて、これからカンパニーの本公演。

虫の音が聞こえ、女性がうっすらと黄色く光る玉を身体に這わせている。やがてその玉はふわっと空中に舞い、また女性の手のひらに落ち着く。浮遊するように歩く男性。椅子もゆっくりと倒れていく。ここは重力があまりかからない夜の世界。そこにいたはずの人がすっと消え、また現れたかと思うと、2人の姿が重なり、男性が女性に入れ替わっている。人もゆっくり後ろに倒れていく。次のシーンは白い玉。軌跡を残しながら、長い尾を引きいくつもの線を描くのは、先ほどの星の遊泳を思い起こす。シルエットと映像の駆け引きは、影が映像を埋め尽くしてしまった。やっと普通の人が出て来たかと思ったが、フラッシュごとに替わる情景に、デジャヴを見た感じ。せわしないこの暮れに、時間と空間のトリックにはめられて、心が浮遊した。(12月17日104)


9月に新学期が始まって、早3ヶ月。クリスマス休暇前に行なわれたオペラ座バレエ学校のデモンストレーションは、12月の日曜日に3週間に渡って行なわれ、午前中が14歳以下、午後が14歳以上のクラスの発表となった。学年別、男女別に教師に導かれて出て来た生徒達は、日頃の成果を見せるべく、アンシェヌマンとなったパを披露。基本的な動きの連続だが、それでも各生徒の個性ははっきり見える。傾斜の強いガルニエ宮の舞台に立ち、拍手喝采を浴びれば、舞台で踊ることの喜びを実感し、病み付きになること間違いなし。ただ、学期末の入団試験では、各クラスから上位2人だけが合格となる狭き門。誰が入団するのか今から楽しみだが、その前4月にはバレエ学校公演がある。こちらでは作品を踊ることになるので、さらなる成長が見られることだろう。(12月18日14時半公演オペラ座ガルニエ宮)


et garçon adagio/ professeur Wilfrid Romoli (C)David Elofer


classique/proffeseur Francesca Zumbo(C)David Elofer


caractère/proffeseur Roxana Barbacaru(C)David Elofer

     

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