ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression

今年のリヨン・ダンス・ビエンナーレのテーマは「都市」。世界の都市をテーマにカンパニーを選び、日本からは東京の伊藤キムの「禁色」、京都からはセレノグラフィカ/隅地茉歩の「それをすると」が上演された。あいにく両公演とも見られなかったが、セレノグラフィカはパリ日本文化会館で見たので、これについてはあとで書きます。
さて、今年は9月9日から30日まで3週間開催されたが、毎回素晴らしいと思うのは、このフェスティバルが一般市民に浸透しているという事。例えば、広場での無料公演やダンス講座に、会社帰りの人や買い物途中の人など、道行く人が気軽に見たり参加して行く。また、一晩に数カ所の劇場で同時に公演が開催されるのに、どの公演もほぼ満席。素晴らしい動員力だと思う。では、見たものを簡単に。

カンパニー・レクスプローズ「FRENESI」(ボゴタ)

作品の前に、上演された劇場について一言。セレスタン劇場は、リヨンの中心部、ベルクール広場からほど遠くない、ちょっと奥まったところにある。劇場の前はきれいに整備され、市民の憩いの場となっている。この劇場はイタリア様式で、数年前に改装された美しい劇場。リヨンはモダンな劇場しか知らなかったので、歴史のある劇場に入るのは気持ちが引き締まる。ただ、客席がオペラ形式なので、席によっては舞台全体が見えない。今回は上手奥が全く見えなかったので、作品をちゃんと見たという気がしなかった。文句を言って席を替えてもらう事も出来たのだろうが、その勇気がなくてすみません。
意味ありげに幕がゆっくりと開くと、たくさんの白いブラウスが吊るされた舞台にステンレスの無機質なベッドが置かれ、そこに男が横たわっている。女達は吊るしてあったブラウスに着替え、横たわる男をまるで生命のないものを扱うように起こし、抱き上げ、舞台中央に捨てに行く。そのうちの1人は障害者だ。ちょっとサドマゾ風の踊りと衣裳におののくが、男性群舞の踊りのエネルギーには圧倒される。舞台前に1本の線を描くように撒かれた白い粉が、やがてダンサーの身体に付着し、それが舞台全体に広がってゆく。男と女の駆け引きなのか、人間と動物の争いなのか、人間も動物なのだと言いたいのか。楽しんでいるのか、冷酷に対抗しているのか、シンセサイザーの強い音が緊張を高める。障害者がすべてを操っているようだが、彼が捉えられて肉片のように吊るされてしまえばそこには平和が訪れ、マタドールの喝采を浴びる笑顔となるのだろうか。プログラムによれば、コロンビアでの日常茶飯事の暴動を軸に、人間と動物、人間の動物性や動物の優しさを描いたのだそうだが、言いたい事が多すぎて的が絞りきれていないような気がした。また、前半の高揚したエネルギーが最後に大きな締めとなって表れなかったのが、残念だった。


(C)Christian GANET

ノーランド「紙の船」(イスタンブール)

愛は地球を救う的な、心が暖まる作品。イスタンブールの街中を映したビデオの前で、男女が服を着替えながら場面を展開する。朝の通勤ラッシュは日本だけではないようだ。つり革につかまる動きや、急ブレーキをかけられた時の動きが上手く踊りになっている。孤独な都会の1人暮らし、そしてクラブでの出会い。この出会いが初恋みたいで初々しい。若かりし頃にはこんな事も…と思ったおじさんやおばさんたちもいたはずだ。そしていちゃいちゃの時期から倦怠期、喧嘩の絶えない日々と移り行く。こんなことよくある事さ、で別れるのかと思ったら、映像の軸となるおじさんがゆっくりと消えて、服だけになってしまった。舞台にはおじさんの着ていたシャツとズボン。彼が亡くなったのか、これを機会に仲直りして、2人で作った紙の船で旅立つのでした、というハッピーエンド物語。ストーリはありきたりだが、踊りの上手さと、日常の動きを取り入れた踊りが面白く、イスタンブールの街の映像に、ちょっと旅した気分。


(C)Guillaume ATGER

ファソー・ダンステアトル「A BENGUER」(ワガドウグー)

ワガドウグーは、西アフリカのブルキナファソの首都。正直なところ、感情の入りすぎた作品は苦手なので、民族性の強いものはパスする事が多いのだが、なぜか気を惹かれて見に行った。アフリカの移民の物語なのだが、ダンスは全くのヨーロッパ風コンテンポラリーで、ダイナミックなリフトとダンスが目を惹く。音楽は生演奏がほとんどで、アフリカのギターをポロンポロンと奏で、その優しい音色が好きだった。ただ、祖国を捨てる移民の話は辛い。暑い国を出て北に上り、寒さにまずやられる。「あっちは良かった。でももう住めない。」内戦や飢餓で死ぬよりは、祖国を捨てた方がいいのか。辛く長い旅に出て、やっとの事で安住の地を見つけたとしても、警察の目が光る。逃げても逃げても追っ手はそこにいる。これが現実なのだろうが、こんな悲しいダンスを1時間20分も見るのは辛い。歌い手は素晴らしく、言葉がわからないのにも拘らず、心が締め付けられる。次の作品はもう少し希望のあるものにしてほしい。


(C)Michel CAVALCA

アトリエ・ド・コレオグラフィア「エクストラ・コルポ」(リオデジャネイロ)

ベルクール広場にあるアトリエのようなところでの公演。中に入れば白一色。壁も床も天井も椅子も。これだけ白尽くめだとめまいを感じるほどだ。既にダンサーが彫刻の様にポーズをしては無機質に歩いている。この物質的な動きがいくつかのパターンで繰り返されるだけなので、飽きると言えば飽きるのだが、ある時ふと、微動だにしないバランスを見て、重心の取り方に目がいったとたん、彼らの動きの質に興味が注がれた。四方を観客に囲まれ、観客に触れようと思えば触れられるほどの近距離で、どのように空間と関わるか。そんな事を思いながら見ていたら、パターン化された動きが少しずつ増長していくのが見えた。そして、それが最後に大きな渦となって流れ、会場から風のごとく消えて行ったのは上手い終わり方だった。無機質な動きというのは、単調に思えるが、ダンサーの存在の仕方によっては飽きずに見る事が出来るものだ。人間の身体と意識の関係って面白い。


(C)Guillaume ATGER

ユニオン・タングエラ「TANGO VIVO」(ブエノスアイレス)

ショー的なタンゴではないので必見! とビエンナーレのディレクター、ダルメ氏が勧めただけあって、豊かな構成でドラマを見せてくれた。最近流行のテクニックをびしばし見せて、目にも止まらぬ足さばきでおお!と思わせるタンゴが多い中、この作品は、ゆっくりと、時にはスローモーションばりの速度で見せる。ゆったりとしているからか、動きがダイナミックで、男女の関係がよく見えるし、男組と女組の戦いとか、3人でのタンゴやユニゾンなど構成が豊か。また、照明などのちょっとした工夫で、シーンが町中だったり部屋の中だったりと変わるのも良い。前作で2年間リヨンのメゾン・ド・ラ・ダンスにレジダンスしたというだけあって、コンテンポラリーダンス的で、構成の奥行きが深いのが印象に残った。

(C)Christian GANET

アソシエーション・ウー「ソロのためのトリオ(every adidas has a story)」(リヨン)

マギー・マランのところにいたダンサーが振付けをして踊り、エルベ・ロブのところで活躍した若生祥文が踊ると聞いて見に行った。ドラマーとミキサーを含め、5人の男たちが走る、走る。顔に金色のセロハンを貼り、白のパーカーのフードをかぶる出で立ちは、目立つ銀行強盗か、今時の若者か。体育館でバスケットをするような音がBGMで流れる中、スポーツのポーズをあらゆる角度で取っていたのが、やがて舞台を走り回る。そしてマイクで拡大される心臓の音。激しく叩かれるドラムに鼓膜がびびり、突発的に発せられるピストルの音には、少なくとも全員が2センチは飛び上がっていた。心臓に悪い。一方、ダンサーは走りっぱなし、動きっ放し、最後はバレーボールの応酬で、ダンサーも心臓マヒを起こしてしまうのではないかと心配の連続。このバレーボールをする若生が見事で、回転レシーブあり、飛び込みありで、アタックナンバーワンを見ているようだったが(古いですね)、さて、何を言いたかったのか、スポーツする身体を見せたかったのか、その裏に別のメッセージが込められていたのか、ちょっと見失ってしまった。
余談だが、この公演が行われたのが話題のマギー・マラン率いるCCN。建物自体がユニークで、有名なエコロジスト建築家が建てた木造作り。どのように建てられているのかわからないが、地面を掘らずに建てたようで、1階の床は道路そのままのアスファルト。地震のない地域だから出来る事だ。噂によると梁などはねじで固定されているだけなので、解体して別の場所に移動するなり、改造する事も可能だとか。リヨン市内から車で20分ほど行った、いわゆる郊外団地の中にそびえ立つ、何とも不思議なエネルギーを発する巨大な木造建築は、マギーマランの姿勢をそのまま表しているようだった。


(C)Christian GANET

ザ・ゲスツ・カンパニー「亀の日記より」(リヨン)

ユーバル・ピック率いるカンパニー。ピックは、パリ・ダンスコンクールで優勝したダンサーで、私は彼の踊りが好きなのだが、振付けとなると別物のようだ。北欧の自然にイマジネーションを得た民話を基にした作品で、傾いた木造の納屋の周りで営まれる人々の生活と、彼らの感情と肉体がぶつかり合う様子が描かれる。ぼろをまとった人々が打ち捨てられた材木のように位置し、ゆっくりと氷解するように動き出す。ぴーんと張った空気の中、生気を取り戻した人々の熱気によって、オーロラのように空に留まっていた白い煙がゆっくりと動き出すシーンは、本当に美しかった。北国の厳しい冬を過ごす強さと忍耐が伝わってくるようで、子供たちの無邪気な歌遊びが春を予感させるが、かえって閉ざされた心の葛藤を強調しているようでもあった。最後にきれいな黄色のワンピース姿になった女性が出てくるが、誰かが生まれ変わったのか、春を表しているのか、具体的な事はわからなかった。基となったストーリーがわかると、もっと作品に引き込まれたのではないかと思う。踊りに関しては、ピック特有のアンバランスな動きを良く踊りこなしていたし、ライトの使い方等の演出も良かったが、もう少し焦点を絞れたのではないかと思う。


(C)Christian GANET

ミミュルス・シア・ド・ダンサ「DO LADO ESQUERDO DO QUEM SOBE」(ベロ・ホリゾンテ)

見知らぬ都市が出てくるたびに世界地図を広げ、思いがけず地理の勉強ができた今回のビエンナーレ。ベロ・ホリゾンテはブラジルの一都市でした。さて、このミミュルス、ビエンナーレの最後を飾るにはうってつけの作品だった。サンバといえども、振付・構成が凝っていて、身近な小物を使い、シーンも衣裳もテンポよく変わる。ダンスも軽快、装置はシンプルなようで手が込んでいた。思いがけないところから手が出てきたり、ライトが点いたり、足跡が壁に表れたり。あっという間の1時間の舞台に観客は大満足。しかも公演後にサンバの無料講習もあって、楽しく締めくくってくれた。


(C)Christian GANET

トップページへ

リンクアドレスは http://www.office-ai.co.jp/ をご使用ください
(C) 2003 A.I Co.,Ltd.