飯島 篤
Atsushi Iijima
1934-2016
 
略歴

1934年、12月7日、6人兄弟の長男として中国東北部、当時の満州で生まれる。

1955年、「劇同人やまいもの会」を立ち上げ、演出・美術を担当。

1959年、東京写真短期大学(現東京工芸大学)入学。在学中、光文社『女性自身』の専属カメラマンとなる。

1963年、劇団東京芸術座公演「橋のない川」(原作・住井すえ)の舞台を撮る。以後、同劇団をはじめ山本安英の会、劇団東演、現代人劇場、民衆舞台他新劇を中心に仕事をこなし、「悲劇喜劇」「テアトロ」「新劇」に写真を提供。

1965年、松山バレエ団の「シンデレラ」(松山樹子振付、渋谷公会堂)を撮影しバレエと出会う。同年、I.S.P.飯島舞台写真研究所設立。

1972年、I.S.P.飯島舞台写真研究所を法人組織、スタッフ・テス株式会社とする。

1987年、日本で最初のダンス月刊誌「DANCE NOW」を編集・発行。

1989年、株式会社エー・アイ設立。JPA日本写真作家協会設立に参加、同会副会長、監事を歴任。

2016年、永眠、享年81歳。12月6日、如水会館で偲ぶ会を開催。

 
主な著書

「新しい中国」(保育社、1972年)

「世界のプリマ森下洋子」(ユマニテ出版、1978年)

「プリマ誕生」(岩波書店、1982年)

 
主な公演プロデュース

1973年、インター・アフリカン・シアターグループ(ケニア)を招聘。渡辺貞夫氏(サックス奏者)を迎え、日比谷野外音楽堂で初演のあと3ヶ月にわたって全国展開。

1977年、ダンス誌「TES Graphic Ballet Dance」を発行。併せて、三百人劇場と提携し、テス・ダンスシリーズを3年間にわたり隔月公演を21回行なう。文化庁在外研修で渡米していた野坂公夫、花輪洋二両氏の帰国公演(ヤクルトホール2日公演)を行なう。

1978年、森下洋子、清水哲太郎両氏ヴァルナ・コンクール金・銅受賞記念全国公演を行なう。

1980年、河野潤ダンス・カンパニー(ブラジル公演)、黒沢・下田舞踊団(アルル・フランス)、正田千鶴・竹屋啓子ジョイント(アテネ・ギリシャ) の海外公演をプロデュース。

 
主な写真展

ヘンリック・イプセン展(1970年、三越百貨店銀座店)

現代中国写真展 ~日中国交回復を記念して(1972年、西武百貨店池袋店)

飛翔するプリマ森下洋子(1979年、小西六ギャラリー)

京劇(1987年、キャノンサロン)

ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団(1999年、彩の国さいたま芸術劇場)

「時として、胸が締めつけられる・・・」ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団(2002年、ドイツ文化センター)

ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団(2003年、高知県立美術館)

舞台写真展(2011年、横浜赤レンガ倉庫1号館)

 
飯島篤を偲ぶ会で配布したリーフレットより

 

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