ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression

・トマ・ルブラン「彼らは何も見なかった」
・ダミアン・ジャレ×名和晃平「ヴェッセル」
・島地保武×環ROY「ありか」
・外出禁止令下のフランスでできること
・COVID-19に伴うフランスの現状


ⒸFrédéric Iovino

トゥールのCCN/国立振付センターの芸術監督であるトマ・ルブランによる広島の原爆をテーマにした「彼らは何もみなかった」は、心に響く作品だった。戦争も原爆体験もないフランス人が、ここまで描き切ったことは想像以上だった。
日仏合作の映画「ヒロシマ我が愛」にインスピレーションを得て、3年にわたる構想とともに、ダンサーを連れて実際に広島を訪れ、町を歩き、広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と会い、街に伝わる文化をも体験した。「フランス人の振付家に原爆を語れるのか、語る資格があるのか。」と言われたそうだが、綿密な資料収集と冷静な分析、そして現実を肌で感じとったことが、原爆の真の恐ろしさだけでなく、そこで営まれている日常や伝統をも踏まえた構成になり、感動を導いたのだと思う。そして何よりダンス作品として成立させた点が素晴らしい。
袖幕もホリゾントもない剥き出しの舞台に出てきた9人のダンサーたちは、横に一列に並んで手にした白い紙を床に置いて正座した。カンカンという高音の太鼓の音が響き、彼らはゆっくりと紙を折り始めた。半分にし、向きを変え、まるで茶道の手習をするように、折られて形を変えていく紙。ただ紙を折るだけでなく、上を向いたり、手をスッと横に出したり胸を軽く叩いたり。そんな振付の中で鶴は確実に折られいった。鶴を折る行為がここまで洗練されたダンスになるとは誰が想像しただろう。
音楽が洋楽になり、映画「ヒロシマ 我が愛」の男女の会話が流れ、その場面を連想させるシーンとなった。これが作品のタイトルに繋がるのだ。
布団のように置かれたものを広げれば、巨大なパッチワークの布となる。Rieko KOGAによる手作りのボロだ。これは日本で出会った人たちからいただいた生地も使っており、様々な思いが詰め込まれた布なのだという。日本古来のかすり地が不規則に縫い合わされ、それが舞台一面を覆う。作務衣のような服を着て出てきたダンサーたちは、しゃがんで作業をしながら空を仰ぎ、腕で額の汗を拭う。腰をかがめたり、正座をする様子はまさに日本人の動作で、それは1945年8月6日の日常だろう。空襲警報のサイレンが鳴り響いた。彼らは屈み、空を見上げる。エノラ・ゲイか、爆撃機の騒音の中でアメリカ兵の「ヒロシマ、ヒロシマ」という声が流れ、原爆は落とされた。真っ赤な照明が落ち、人々はゆっくりとなぎ倒され、動かなくなった。
ダンサーたちは静かに立ち上がり、順番にマイクの前に立ち、被爆者の手記を読み上げる。
着物を羽織り、扇を持った人たちは、神楽に合わせて踊り始めた。激しく揺られる頭に髪は振り乱れ、走り、輪になり、神楽の軽快な音楽に合わせてひたすら踊る。それは原爆という悲劇を吹き飛ばすかのように、あるいはその苦しみを忘れるかのようだった。美しい着物をはらりと床に落として裏返せば、それは黒い着物となり、赤い帯を頭から垂らして激しく踊る。その色彩の美しいこと。そう、これは復興なのだ。膨大な犠牲者を出した広島は、活気のある街に復活した。
誰もいなくなった舞台に現れたヒットラー、金正日、トランプ大統領。スターも含め、歴史を変えた人たちがずらりと並んだ。ひとりひとりの手に白い鶴を手渡す女、その鶴を食い入るように見つめ、やがて彼らは崩れていった。永遠の命はない。誰もが死を迎えるのだ。床に敷かれていたボロはホリゾントに吊るされた。平らに見えた布は焼けただれた壁となり、圧倒するほどの存在感で立ちはだかる。そしてそこに流れた被爆者の肉声。
「戦争なんかしちゃいけないんだよ」
吐き出すように言った言葉が胸に刺さった。82歳にしてようやく口にすることができた被爆者の折免シゲコさんの肉声。この言葉で舞台は閉じた。彼女の肉声だけは翻訳されずに日本語で流れたのは、訳さなくてもその想いは伝わるはずだと確信したルブランの演出で、戦争も原爆も知らないフランス人にも、その重みは伝わったようだった。
ダンサーの梶原暁子の存在が良い。ソロがあるわけでも、全面に出てくるのでもないが、要所要所でかなめとなってその場を締める。冒頭で鶴を折った後にひとり、床に置かれた鶴を静かに眺めた時、その場は一瞬にして日本の民家となった。日本人にしかできない存在が効果的に使われていた。
太鼓、映画、原爆、民謡と神楽。ガラリと変わる音楽の転換が違和感に感じられたのは一瞬のことだけで、なぜこの流れになったのかは最後にわかる。2週間の広島滞在は、それまでの観念を大きく覆すもので、構想の半分を手直ししなくてはならなかったという。語られることと実際に目や耳にしたことは大きく違うということだ。公演後に出演者に話を聞くと、我々日本人でさえ行かないようなところまで足を伸ばしている。その熱意と追求心には敬服する。しかし、そこまでしたからこそ、心を打つ作品が出来上がるのだ。
日本趣味にならず、原爆の悲惨だけを訴えるでもなく、そこに生命の力強さを様々な角度から入れ込んでいる。そして最後に心に残るのは、やはり戦争は悲惨なものだという一言なのである。広島を肌で感じたルブランの秀作。多くの人に見てもらいたい作品だ。(2020年3月5日シャイヨー国立舞踊劇場)


ⒸFrédéric Iovino


ⒸFrédéric Iovino

参考文献 オヴニー892号より


ⒸYoshikazu Inoue

シャーマニズムに興味があるというダミアン・ジャレが、名和晃平のオブジェに魅了され、京都のヴィラ九条山でレジデンスをしながら、ふたりで作り上げた作品「ヴェッセル」。2015年大阪でのワークインプログレスで3人バージョンを発表したのち、翌年京都ロームシアターで初演。犬島での瀬戸内国際美術フェスティバル、2017年には横浜ダンスコレクション、2018年に欧州ツアーをしたがパリ公演はなく、2019年のアジアツアーに続き、ようやくパリ公演が実現。ジャレはすでに注目される振付家のひとりで、名和もルーブル美術館やFIAC での展示などで知名度は高い。そのふたりのコラボとあって、満席の会場の熱い視線が注がれた。
ノイズ音の中で白い大きな丸いオブジェがゆっくりと浮かび上がり、やがて左右の黒いリノの上に人影が見え始めた。肌色の物体が奇妙な形を作り、反映していた形が崩れた。彼らは重なり合い、水の中にいたのだ。しぶきを上げながら移動する様子は、それが人だとわかっていても不思議な錯覚に陥る。
顔も頭なく、骨や筋肉の動きが異様に見える。そこから細い手足が動くと、カエルのようにも虫のようにも見えた。もぐらたたきのようにぴょこぴょこと屈伸をするのは滑稽だ。やがて彼らは白い物体の上に登り形を組む。床に足、天井に向かって足。そして腕が伸びる。人間だけれど、人間ではなかった人の頭から白いドロドロとしたものが背中に流れた。全身白塗りとなって立ち上がり、初めて正面を向いた。身体を硬直させ、ロボットのように横に揺れるのは、やはり人間ではない。それがゆったりと崩れ、沈み、見えなくなった。
人間の体は硬いと同時に柔らかい。体の中には60%は水がある。地球も水で覆われている。日本には古くから死後は三途の川を渡るという言い伝えがある。特に日本では水は特別な意味を持ち、お浄めの水があるようにスピリチュアルなものだとジャレは言う。そして出会った名和の作品。衝撃的だったという。ネタバレすれば、ラストでかぶる白いどろりとした液体は、片栗粉が原料。各地の土地の水質によって配分が異なるそうで、理想の濃度にするのに苦労するという。
頭がずっと下にあることで、血が頭に鬱血するのではないかとか、体力的にきついのではないかなどという疑問には、 「苦痛」の一言が笑顔と共に返ってきた。そう言いながらも初演からメンバーの入れ替えもほとんどなく踊り続けているということは、この作品を踊る価値を見出しているからであり、一方のジャレも、このメンバーが気に入っているからこそ続けているのだろう。次の新作の構想がすでにあるというジャレ。期待は膨らむ。(2020年3月6日シャイヨー国立舞踊劇場)


ⒸYoshikazu Inoue


ⒸPierre Grosbois

2月に横浜公演を終えたばかりの「ありか」が、パリ日本文化会館で上演された。可動式の劇場ゆえ、横浜とほぼ同じ状態で上演できるのはありがたい。四角い島を繋ぐ細い通路。座席は舞台の両側に設置されている。長方形の空間を利用し、真横からの一本のライトの明かりが、距離感を出している。
環ROYのリズムに乗った言葉に身体が自然とリズムを刻んでいる自分に気がついた。脈絡なくとも不思議とつながる夢を見ているような感覚。次から次へと予想もしない言葉が飛び出し、それが別のイメージと重なりながら途切れては繋がり、繋がっては途切れる。その言葉が環ROYの体から踊るようにでていく。動きもいい。言葉とリズムと身体がひとつの世界を築き上げている。その音楽性、身体性は驚異的だった。
一方の島地保武も、脈略のない動きを連ね、予想のつかない動きの連続に目が離せない。滑稽な形をしたり、能の真似をしたり、素に帰ったり。後半のバレエ的な動きも良かったが、環ROYとのコンタクトが面白かった。環ROYもよく動くが、その動きを瞬時に捉えて絡み合うのは、さすがフォーサイスカンパニーで鍛えられたものだと関心する。
両サイドの島は、それぞれのテリトリー。自分の陣地だ。そこに侵入し、場所を交換する。欲を言えば、ふたりの絡みが面白かったので、このシーンをもっと見たかった。ふたりのやりとりはあっても、それぞれのソロが多いという印象が残った。
せっかくプログラムに歌詞が翻訳されていても、日本語の言葉の綾は伝えきれないのが残念。また、コロナウイルス感染拡大防止策として前日に発表された、100人以上の集会禁止令のため、急遽人数制限をしたことで空席のできた会場となり、観客の熱気が伝わりにくかったことも、今少し盛り上がりに欠けた原因なのではないだろうか。
このような状況の中で解決策を見出し、上演を決定した劇場側と、それを受け入れたふたりのアーティストに感謝。この後少なくとも4月15日までは、フランスで公演を見ることは不可能となった。
文化をも殺すコロナウイルスの終息を願うばかりである。(3月13日パリ日本文化会館)


ⒸPierre Grosbois

劇場は閉まっているが、おとなしく黙っている劇場ではない。文化は人を豊かにするというのがフランス人の考え方。こんな時だからこそ、テレワークの合間に文化に触れて気持ちを落ち着けようというわけだ。ネット配信なので、この機会に海外の舞台作品をみるのも良いだろう。また、9月からの来シーズンの演目も公表されている劇場が多いので、折に触れて見てみるのも悪くない。英語版で掲載している劇場が多いので、怖がらずにトライ!
主な劇場での配信は以下の通り(日本とフランスの間に7時間の時差があるので、配信時間も考慮してください)
また、予定は変更されることもあるようです。

~パリ・オペラ座~
以下のURLからもアクセスできます
https://www.operadeparis.fr/magazine/a-revoir

オペラ「セビリアの理髪師」4月6日~12日
コンサート「チャイコフスキー」配信中5月3日まで
バレエ「ジェローム・ロビンスの夕べ」4月13日~19日
バレエ「シンデレラ」4月18日~6月19日
オペラ「ホフマン物語」 4月20日~26日
オペラ「カルメン」4月27日~5月3日
いずれも初日はフランス時間の夜7時半から公開

バレエ「ジゼル」現在配信中(8月5日まで)
「ジゼル」のドロテ・ジルベールが出色。ビデオで見ても感動するほどなので、日本公演でもさぞかし素晴らしかったのだろうと思う。アルブレヒトはマチュー・ガニオ、ヒラリオンのオードリック・ベザール、ミルタのヴァランティーヌ・コラサントともに適役で見応えがある。
*4月2日に配信が終わってしまったが、「白鳥の湖」でのロッドバルト役のフランソワ・アリュが素晴らしい。ビデオだと細かな表情が見えて、演技の細かさに驚かされる。白鳥/黒鳥がレオノール・ボラック、ジークフリード王子はジェルマン・ルーヴェ。

~シャイヨー国立舞踊劇場~
バットシェバ舞踊団、勅使川原三郎、ダミアン・ジャレ、マランダン・バレエビアリッツなど、過去に同劇場で上演されたの作品が見られます。フォーサイスとのインタビューも。

~バレエ・プレルジョカージュ~ 
ホームページ右下のニュースレターを申し込むと、週替わりで作品の抜粋あるいはリハーサル風景が見られます。Coulisses du spectacle をクリック。
例えば、
「グラヴィテ」
「ラ・フレスク」
「ラ・フレスク」は津川友利江さんが主役のバージョンです。

また、ニュースレターを受け取った人には、指定された作品が見られる特典があるようですが、事前予告はなく、当日に発表され、先日は24時間限定、指示されたパスワードを入力で「フレスク」が配信されました。

~モナコ王立モンテカルロバレエ団~
4月4日で終わってしまったけれど、「LAC(白鳥の湖ジャン=クリストフ・マイヨー版)」は見応えがありました。マイヨーの発想と振付の豊かさに改めて感心。悪魔役のベルニス・コピエテルスは圧巻。女王役の小池ミモザさんも素敵でしたが、舞台だともっと遊んでくれて、踊りも素敵でしたが、演技が素晴らしく、目が離せなかったのを思い出しました。

オーケストラだって頑張っている。それぞれの自宅から演奏してのミニコンサートも悪くない。

リヨン国立管弦楽団の26人楽団員が、外出禁止令下での小コンサートを披露

フランス国立管弦楽団がラヴェルのボレロを演奏

その他にも期間限定で配信している劇場やバレエ団があるので、この機会を利用するのも良いでしょう。追加情報は下記にリンク先を追加いたします。

モンテカルロバレエ団(4月11日フランス時間の19時まで)
「ラ・ベル」ジャン=クリストフ・マイヨ振付

ネット配信は、バレエ団のホームぺージではなく、フランス3チャンネル・プロヴァンス・アルプ・コートダジュールのホームページから探すのが最も簡単な方法のようです。

バレエプレルジョカージュ(4月6日の週末まで)
アンジュラン・プレルジョカージュのインタビューと作品紹介

上記リンク先には配信期限があるものも含まれています。

フランスは現在外出禁止令が出されている。これが日本でいうロックダウンと同じものかどうかわからないが、フランスの現状を簡単に報告しよう。
外出禁止といっても、生活に必要最低限の目的なら外出はできる。食料品の買い出し、出勤、長期療養のための移動、裁判や法的な目的、子供や高齢者の援助など。また、自宅から半径1キロ以内、1時間以内の外出は健康維持として認められている。犬の散歩も含まれるが、羊、鶏やうさぎを連れていた人が罰金を取られたという噂もある。外出時には所定の様式の外出許可証を自分で記入し、身分証明書とともに携帯することが義務付けられており、違反すると罰金罰則の対象となる。あまりにも違反者が多かったため、罰金はあっという間に値上がりし、現在裁定が135ユーロ(約1万5千円)、15日以内に再度違反した場合は200ユーロ、支払期間以内に罰金を納めない場合は450ユーロ、30日以内に4度の違反をすると3,750ユーロの罰金に加えて6ヶ月の禁固刑と厳しい。また、許可証の記入が不十分でも罰金の対象になるという厳しい措置が取られている。それだけ深刻だということだが、規則さえ守れば問題はない。また、ようやく予防のためのマスクは効果があることがわかり、現在では外出時にはマスク着用が奨励された。ウイルス対策用のマスクは医療関係者優先で配布されるため、一般人は家庭で作れるマスクを着用することになる。顔を隠すのはテロリストという認識や、これまでマスクをつける習慣がなかったため、マスクをつけるのは日本人などのアジア人観光客と見られて、スリやひったくりに狙われやすかったが、これからはマスクをしても狙われる機会は少なくなるのではないかと思う。

商店は食料品店、薬局、タバコと新聞の売店、銀行以外は全て閉まっていて、窓口の一部を閉めている所もある。役所や電話会社など、電話での応対のみにするところが増えている。流通は安定しているので、スーパーの品揃えはいつもとほぼ変わりなく、買いだめする必要はない。最初はパニックした人たちがスーパーに押し寄せて混乱していたが、1週間たったらいつも通りに買い物ができて、愚かな行動をしたと反省する人多数。
商店によっては人数制限をしているところがある。列を作るのも、1メートル以上の間隔を取ることになっているので、長蛇の列に見えるが、見た目より人数は少ない。自分を守るためなので、誰も文句を言わない。買い物は1家族につきひとりの入場のため、同伴者は店内に入ることができない。
車による公害が減った利点もあるが、家庭内の不和も増大。家族で話し合って解決するのが難しい場合のホットラインが開設されている。
また、詐欺師のアイディアは尽きないそうで、偽警官による検問で罰金を取るとか、消毒や検診と偽って偽医者が家庭を訪問して料金を要求する事件も報告されている。
うつさない、うつされないが原則。皆様もどうぞ最新の注意を払って健康を維持してください。

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