ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression

18回目を迎えたリヨンのダンスビエンナーレが、9月11日から30日まで行われた。リヨン市とその近郊だけでなく、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏27都市にも拡大した、大規模なダンスビエンナーレとなった。ヨーロッパを中心に、話題のカンパニーを紹介するだけでなく、ハイテクや実験的な作品に重点を置いたのが今回の特徴だが、ご当地メジャーカンパニーの顔ぶれもすごい。リヨン出身でヒップホップの第一人者のムラド・メルズキ、リヨン・オペラ座バレエ団、CCNRのユヴァル・ピック、そしてリヨンに戻ってきたマギー・マラン、勅使川原三郎とコラボするリヨン国立管弦楽団など、まず地元を応援。そして、アンジュラン・プレルジョカージュ、ジョセフ・ナジなどの中堅に続き、ジェローム・ベル、ヨアン・ブルジョワ、ピーピング・トム、カンパニー・ワン・ラミレズ、カデル・アトゥなどの注目の若手の名前が連なる豪華なプログラム。ダンス、映像、展示をミックスさせ、新しい切り口で頭角を現している(ラオルド/(La)Hordeは、作品上演だけでなく、ビエンナーレのポスターも手がけている。ヨアン・ブルジョアとジル・ジョバンの3Dを使った作品や、今回初の試みとなるヨーロッパ3都市同時開催のコンクール「ダンサトン」で、未来のダンスのあり方を提示するのが興味深い。生きていれば来年100歳となるマース・カニンガムへのオマージュとして、CNDCアンジェが作品を踊るが、ディレクターのロバート・スゥインストンは、カニンガム舞踊団のダンサー、アシスタントでもあったので、当時の風味を損なわない作品が見られるだろうと期待されている。

会期中は好天に恵まれ、16日に行われたダンスビエンナーレの目玉であるデフィレには、25万人が繰り出して盛り上がった。ちょうどヨーロッパ文化遺産の日と重なり、古代劇場でダンスパフォーマンスが行われるなど、リヨンがダンスで埋め尽くされた感じだった。 古代劇場があるフルヴィエールの丘まで、デフィレの最終地であるベルクール広場の歓声が届いていた。

デフィレとはダンスのパレードで、オープニングのグループ以外に、企画審査で選ばれた12カンパニーが演出・振付を行う。このデフィレが重要なのは、街を練り歩くダンサーたちのほとんどが一般人だということ。その数4,500人。老若男女、10歳から80歳が練習を重ね、衣装をつけて化粧をして作品を踊る。そして、参加者たちには報酬が払われる。失業者を助け、しかも芸術に触れられることで、社会的に意義が深く、大変に人気のあるイベントになっている。

リヨン・オペラ座前からパレードを始め、ベルクール広場に全員が集結した後は、プロのカンパニーによるパフォーマンスに続き、広大な広場に集まった1万5千人が一斉に踊って歌う様子は、見事! というしかない。私も行ったのだが、おしくらまんじゅう状態の広場の混みように呆然とし、そこをかき分けて中央まで進む根性も時間もなく、歓声を遠くから聞いていただけだったのは、なんとも悔しかった。2002年から始まったこのイベントは、今までに一度も雨で中止になったことがないというのも驚きだ。

ダンスは日常の一部で、誰もができる楽しいこと、という観念が定着していると実感したのが、メゾン・ド・ラ・ダンスに行ったときだった。日曜日のヒップホップ公演ということもあったのだろう、公演前のロビーでは、ボールやふたつのローラーがついた板の上でバランスをとるなどの子供向けのイベントが行われ、公演後は家族で楽しめるダンス教室がロビーで間髪入れずに行われていた。劇場は公演を見に行くだけでなく、家族で楽しめる場所なのだということを体験させることで、劇場を「また行きたい場所」にさせるのだ。フランスのほとんどの劇場は貸し小屋ではない。劇場のディレクターが年間の演目を決める。演目が面白ければ切符が売れるし、人気のない演目なら赤字になるわけで、劇場経営は大きなビジネスなのだ。特に町から助成金を受けているのなら、市民の賛同なしでは成り立たない。払う税金が無駄に使われることを快く思う人はいないからだ。 前ディレクターのギ・ダルメ氏が始めたイベントを、現ディレクターのドミニク・エルヴュ氏がさらに押し進めて、完璧に街に浸透させていると感じた。

では見た順に。


ⒸThanh Ha Bui


ⒸThanh Ha Bui


ⒸThanh Ha Bui


ⒸThanh Ha Bui

相変わらず、期待を裏切りながら強いメッセージを発した新作の「Linge de crête(稜線)」。期待とは、ダンサーが踊ることなのだが、踊るとしたら、軽くスキップのように飛び跳ねるだけ。しかしそこには現代社会を批判する強いメッセージがあった。

大きな鏡が客席を映し出している。そこに6人のダンサーが現れては消える。現れるたびに物を運び、舞台に置いては鏡の後ろに引っ込む。その繰り返しが延々と続く。6人に関連性はなく、同時に数人が舞台に現れては消え、時々揃って飛び跳ねるだけ。感情はなく、淡々とものを運び、日常の動作をしているだけだが、そこには消費社会に慣れきった我々の生活がある。机、椅子、額入りの絵画、パーティーの飾り、おもちゃに食器。家の中で見かけるものばかりが次から次へと運ばれて、舞台がどんどん物で占領され、ダンサーが通る場所がなくなるのではないかと心配するほどの量。そこを器用に通り抜け、窓をふき、物を食べる。必要とはいえ、これだけのものは本当に必要なのだろうかという疑問を投げかける。新鮮さを失った日常、物質社会、消費社会。物が豊かになることが幸せなのだろうか。 妙に虚しいものが心に残る。マランの厳しい社会批判には敬服するばかり。(9月15日TNP)


ⒸChristian Ganet

以前にカンパニーによる「ヴァンデンブランデン通り32番地」があったが、リヨン・オペラ座バレエ団版は、1番地違って31番地。1番地違う理由を探したのだが、ほとんど変わらなかった。おそらくカンパニー以外の上演なので、31番地にしたのだろう。別のバレエ団が踊る場合は、33番地になるのかもしれない。

ピーピング・トムらしいシュールな世界は何度見ても面白い。吹雪の中を旅する男。両手に大きなトランクを持ち、背中に荷物を背負って、さらにその上でもうひとりの男が鞭を振るう。こんな出だしは、期待通りの奇妙な人たちを描き出す。宿にたどり着いた男たちの向かいの、女ばかりの家。ここも何かが狂っている。ドアの後ろにいた人が突然消え、そしてまた現れ、銃で撃たれても生き返る人。何が本当で、何が嘘なのか。ありそうでありえないことが次々と起こる。リヨンオペラ座バレエ団の踊りの切れ味と、ピーピング・トムの毒舌がマッチした、痛快な一作。(9月15日リヨン・オペラ座)


ⒸMichel Cavalca

道化のオーギュストにインスピレーションを得て、笑いを追求したというが、まさかこんな切り口の作品だったとは想像もしなかった。50分間ダンサーは腹を抱えて笑っているだけ。

最初は物静かに始まった。客席から舞台に上がった9人は、客席に背を向けて座り、やがて立ち上がって思うままに歩き出し、円形になった。お互いを見合わせるうちに、笑いがこみ上げる。くすくすとした笑いが、やがて声を上げて笑い始め、腹を抱え、体をよじりながら大声で笑っている。少し収まってもまた笑いがこみあがる。箸が転がっても笑う年頃というのはあるが、男も女も、若きも年配も笑いが止まらない。男が歌い出して、一瞬耳を傾けるものの、また笑いが始まる。誰かのヘマを見て笑い転げる。踊っていても、喧嘩をしていても、笑いが止まらない。こうなったら病気だ。いや、マジな喧嘩が笑いによって収まるのなら、笑いは平和をもたらす行為かもしれない。それにしてもいろいろな笑い方があるものだ。これにつられて一緒になって笑っている観客。笑いは感染る。何が面白くて笑っているのか最後までさっぱりわからないが、50分間笑い続けた出演者に拍手。衣装の色が汗で変わるほど、笑うという行為は、全身を使った運動なのだということを、改めて知った。

シアローニは、単純作業の繰り返しで綴る作品が多いように思うが、微妙な照明の変化と、前面に出さずとも効果的な音楽の使い方にいつも感心する。(9月20日クロワ・ルッス劇場)


ⒸMichel Cavalca

狭い通路を登りつめた真っ暗なスタジオで手渡されたのは、ごっついゴーグルとイヤホーン。ゴーグルの調整をしてから、一旦器具をはずし、10人ほどの参加者が輪になって、インストラクターの指示に従って簡単な動きを教わる。再度器具をつけてスタートだ。黒いマントを羽織った人たちが自分を囲み、じっと見ている。そして、先ほど習ったのと同じ動きをしている。このゴーグルは360°見えるので、振り向けば、後ろにいる人が見えるのだ。バーチャルリアリティ体験。彼らは一瞬のうちに移動して、その視線の先にはトランポリンで飛び跳ねる人がいる。飛んでいるうちに、その男はトランポリンの裏側の世界にまで行き、元の世界にもっどってくる。そして次の瞬間、自分が飛んでいることに気がついた。景色が動いて、天井が近くなり、自分を見上げる人たちが小さく見える。舞台から降りれば、コートのフードを取り、自分を責めるように見つめる人の目にどきりとする。そして彼らは無言で去って行った。サイコサスペンスの映画を見ているような感覚に、少しめまいがした。


ⒸBlandine Soulage Rocca


ⒸBlandine Soulage Rocca

無音の小さなステージに4~5人が夢遊病者のように動いている。やがて彼らはゴーグルをはずし、笑顔で興奮気味に会話をしている。はたから見ているとさぱりわからないのだが、実体験すると驚きの映像に囲まれることになる。

ブルジョア版より重装備だ。ひとりにひとりからふたりの係員がついて、まずリュックを背負い、そこから出る線の先端にあるパッチを手先と腕と足に付ける。ゴーグルをつけた途端に目の前に広がったバーチャルな世界。ここどこ? 洞窟の中? すぐ近くにバーチャル人間がいて、ぎこちない動きで握手を求めてきた。半信半疑で手を出すと、生身の人間の手だった。黒人、白人、男に女。これってどういうこと? すると一方の壁がずれて、大きな顔がこちらをのぞいている。まるでガリバー旅行記。我々が小人なのか、あちらが大きいのか。珍しそうに私たちを眺めながら、四方の壁を外すと、そこは太陽が照りつける大地が広がっている。ごつごつした岩と乾いた大地。虫ケラのような私たちをつまもうとしているので、慌てて逃げたりして。彼らが遠くに行ってしまうと、目の前の庭で踊る人がいる。私たちは一軒の家の中にいたのだ。次々と人が踊りながら入ってきて、すぐ目の前にいる。こちらに向かってきたので避けてみたが、今度はこちらが向かって行ったら、私の体を通り抜けて行った。床からテーブルが持ち上がり、小人が踊っている。コーヒーカップもある。これ飲めるのかな、と思っているうちにすうっと消えてしまった。この家が取り除かれると、ビルに囲まれた公園で、芝生の上でヨガをする人、寝転がる人、コンクリのスペースで踊る人など、よく見る光景が広がっていた。ここはリヨンの公園かな、と思っていたら、ビルの間から地響きを伴って大男と大女が壁を持って現れて、私たちの周りに壁を置くと、元の洞窟風景に戻った。

バーチャルな世界って面白い! 体験してみて初めて、夢遊病者のような動きと、終わった後の興奮の理由がよくわかった。バーチャルなダンサーとインプロで踊る人もいるそうで、次回はいろいろ試してみようかな。ところで、最初に握手をしたのは参加者で、ゴーグルを通すとバーチャル人間に変身するのだそう。実際には黒人も小柄な男性もいないのに、私には見えたわけで、じゃあ私はどんな風に変身していたのだろうか、聞いてみればよかった。(上記2作品とも9月21日Théâtre Nouvelle Génération, Les Ateliers-Presqu’ile)


ⒸCie Gilles Jobin


ⒸCie Gilles Jobin


ⒸBlandine Soulage Rocca

美術館の一室。4面の壁にはモノクロの写真が規則正しくかけられている。ナジの作品だ。彼が作ったオブジェや作品の写真とデッサンが飾られている。その中央に小さな部屋があり、これがステージだという。中に入ると、いわゆる小劇場の造りで、24脚の椅子が置かれた客席と、2メートル四方ほどの枠で囲まれたステージがある。この黒い密室の舞台の中央奥にはナジの作品だろう、小さなクマとカエルのオブジェが置いてある。そこへまるでミイラのように顔を包帯で覆ったナジが現れた。そろそろと歩き、不器用そうに動き、オブジェをいじって楽しんでいる。しばらくすると、ナジと同じ服を着て、顔を包帯で巻いた人形を担いで出てきて、椅子に座らせ、包帯で巻かれた猫のオブジェを持たせた。もうひとりの自分との対話。人形も猫も人形なのに、妙な存在感があって、ナジと無言の対話をしている。

これまで20年にわたって追求してきたことをもう一度整理してみたら、20分のソロ作品になったという。人形と人間、手品のような奇妙な瞬間があって、ナジらしいシュールな世界が広がっていた。(9月21日リヨン美術館)


ⒸBlandine Soulage Rocca


ⒸLaurent Philippe

CCNとしては珍しく小規模で、ダンサーが5人しかいないのだが、精鋭揃い。今回も小林円香が光っていた。

ドタドタと足音を鳴らしながら男が出てきて、うお~! と叫ぶ。あっちに行ってまた叫び、こっちに行っては歌い出す。音楽はロックが流れているから、結構やかましい。その上にダンサーが飛び跳ね、走り、痙攣しで、わさわさしている。でもこのわさわさから目が離せない。フィジカルでエネルギッシュな動きにあっけにとられながらも、動きが面白くて、次はどんな展開になるのだろうかと思わず体を乗り出してしまう。洗練された動きではなく、日常の動きを大げさにしたり、それを繰り返したりして、直接その動きが何かの感情などを表すものとは思われないのだが、ダンサーの信じられないようなエネルギーと、何が起こるかわからない、何がおこってもおかしくない展開に、あっという間の1時間。

ピック独特の、体の芯から動くムーブメントは、ダンサーの存在感を高め、ダイナミックに動き、それを正確に見せることができるのだと思う。ピックの動きをこなすのはたやすい事ではないと思うが、妥協のない追求ゆえに小規模でありながら、驚くべきほどの高度なテクニックを持ったダンサーによる、他に類を見ない作品が生まれるのだろう。(9月21日TNP)


ⒸLaurent Philippe

13人のダンサーを使った新作「グラヴィテ」は、さすがプレルジョカージュと言わせるだけの完璧な仕上がりだった。

グラヴィテ、重力、引力。バレエが上に伸びようとするのに対して、コンテンポラリーダンスは、相手との引き合いだという。重力や引力を前面に出した動きではなく、純粋にダンスのムーブメントを追求したという。でもそこには必然的に重力を伴った動きの連続になる。コンテンポラリーダンスの多様なスタイルを、そしてこれまでの自身の歴史を交えて作品を練ったのだろう、色合いの違うシーンが次々と展開し、ダンスの歴史を見ているようで、多くのダンスシーンが蘇るが、コピーではなくあくまでもプレルジョカージュ味。似通ったムーブメントの繰り返しななく、次から次へと語られる動きは常に新鮮で、全く飽きのこない動き。彼が持つムーブメントのボキャブラリーの豊かさ故だ。流行に惑わされず、ダンスのムーブメントを追求し続けているプレルジョカージュの底力を見せつけられた。(9月22日TNP)


ⒸMichel Cavalca

フランスヒップホップ界の第一人者のひとり、ムラド・メルズキ。リヨン出身なので、この地では国民的スターだ。劇場に入ると、ホールは子供たちのにぎやかな声でいっぱい。見れば、インストラクター指導のもと、ボールの上でバランスをとったり、車輪のついた板の上に乗ったりと、子供向けアクロバットのワークショップ会場になっている。2階に上がれば、運動が苦手な子供のために、本や積み木などが置いてあるスペースが用意されている。どうぞ子供連れで来てくださいと言わんばかりのイベントは、ビエンナーレのディレクターであるドミニク・エルヴュ氏の「ダンスはみんなのもの」の精神の表れだろう。こうしてちょっとしたアクロバットを体験した子供達は、興奮気味に、幕が開くのを待っている。

アクロバット、空中芸、もちろんダンスと、期待を裏切らないエネルギッシュなダンサーの動きの連続だ。私がメルズキの作品が好きなのは、アクロバットや意表をつく動きを見せるだけでなく、それらがダンス作品の一部として組み入れているところだ。つまり、れっきとしたコンテンポラリーダンスなのだ。この作品は、いつもに比べてストーリー性は少ないものの、ある状況が感情を生み、その動きがダンスとなり、アクロバットへと昇華する。その振り付けと演出が素晴らしいと思う。ラストの垂直に置かれた板を、軽々と上り下りするシーンは、少し長く感じられたが、大衆的でありながら、アカデミックな作風は、多くのファンを引きつけている。

興奮気味にロビーに出た途端に聞こえた掛け声と音楽。公演の後は、みんなで楽しく踊ろうということらしい。老いも若きもリズムに乗って楽しそうだ。ダンスは完璧に日常の一部になったのだと実感。ひとつの公演を観に行って、3つも楽しめるとは!(9月22日メゾン・ド・ラ・ダンス)


ⒸMichel Cavalca

ベルリオズの幻想交響曲第14番。「40年前の20歳の頃に、病気でベッドに横たわっていた時にこの曲を聴いて、いつか踊りたいと思っていました。でもその頃にはこの曲を踊りこなすだけのテクニックがなかったのですが、今ようやくできると思って、創りました」勅使川原のプレスコンファレンスでの言葉だ。リヨン国立交響楽団の開幕の演目にダンスを入れたということは、同交響楽団が音楽だけでなく、他の分野のアートともコラボレーションしていることを提示したことになり、これは大変に意義のあることだと思う。

コンサートはまず、ジョーン・タワーのトランペット四重奏(fanfare for the uncommon woman)に始まり、ベラ・バルトークの「舞踏組曲」、そしてモーリス・ラヴェルの「ボレロ」で第1部が終わり、休憩後に勅使川原三郎と佐東利穂子が踊る「幻想交響曲第14番」が始まった。黒のベースに白いシャツを羽織ったふたりは、確かに勅使川原が言っていたように、音楽という空間の中を漂っていた。

オーケストラの前に、細長い黒のリノリウムが敷かれている。静かに出て来た勅使川原が下手に位置付き、演奏が始まった。途中から佐東が疾風の如く現れて、スルスルと踊り、闇に紛れて消える。佐東は音楽を完璧に覚えているのか、強い音が止まると同時に振りも止まり、音楽と一体化しているが、あまりにも合いすぎて次第に面白みがなくなってしまった。一方の勅使川原は、大きく動いたり、一箇所で手などの体の一部を動かしたりと、多様な動きで見せ、そのボキャブラリーの多さに目が離せない。特に2楽章は出色で、音符が勅使川原の体にまとわりつくように覆い、音楽と体が絡み合い、戯れている感じだ。各楽章で振り付けのニュアンスを変え、ああ、こんな動きもあるのかなどと感心する。音楽が体に入って、それが口から別物となって出て来たり、お茶目に反応してみたり、踊ることを楽しんでいる。それがなんとも素敵だった。(9月22日リヨン・オードトリウム)


ⒸMichel Cavalca

ひとりずつ出てきて、客席に向かって立つ人たち。眉間に軽くしわを寄せていたり、ふてくされていたり、決して明るい雰囲気ではない。それがある掛け声とともに、一斉に激しく動き始めた。腕を振り、走るような感じで、ステップを踏んでいる。これでもかこれでもかと、方向を変えながら激しく動く。グループからひとりがはみ出て一芸、あるいは全員が見守る中での一芸。ひとつのシーンは長くなく、テンポよく構成が変わる。見ている方まで呼吸が荒くなってしまうほどの激しい踊りがしばらく続いた後の突然の休憩。息を切らして寝転がる者、水を飲む人、それぞれが素に戻って休憩という展開は想像もしていなかったけれど、このシーンが人間らしくて好感が持てたのだろう、客席が舞台と一体化したのが感じられた。音楽はバラエティに富み、環境音楽風から、リズムの強いものやノイズ音まで幅広い。照明もどんどん変わる。カメラで実写したものを白い布に移し、それを揺らせば、顔や体がぐにゃりと曲がる。シンプルだけど効果的。彼らが広場などで踊るビデオを携帯で流し、それをスクリーンに大写ししたり、自国の言葉で喋ったり、たくさんの要素が飛び交っている。フランスが本拠地といえど、北欧やドイツ、チェコなど、国際色豊かな集団の特徴を生かし、携帯電話などの身近なものを利用して、フォークダンス風の誰にでもできそうな(しかし実際はできないのだが)動きや、寝転がったりおしゃべりしたりふざけあったりする日常を取り入れることで、観客の共感を呼んでいる。

ダンス、アートビジュアル、メディアに精通した3人によるマルチメディア集団(ラ)オルド。2年前のダンスエラルジーで優勝して以来、売れているカンパニーだ。多様性を持った作品は、これからのダンスシーンを変えていくだろう。(9月27日トロワ・コカン/クレルモン=フェラン)


ⒸTom de Peyret

たくさんの仕掛けとアイディアで、手品みたいなアクロバットを見せてくれるマルタン・ジメルマン。新作「イチ、ニ、サン」は、さらにパワーアップし、3人の演者とミュージシャンによる、奇想天外な展開に、1時間半のほとんどを驚きと笑いで過ごした。

心地よいジャズピアノが流れ、ぼんやりと浮かび上がった大きな黒い山がゆっくり動いている。実はそれは大きな黒い布で、それが引かれて無くなると、コンファレンスの司会者のような人物と、グランドピアノが出てきた。先ほどの心地よい音楽は、生演奏だったのだ。3カ国語でペラペラと挨拶する司会者は、笑みを浮かべて穏やかな口調なのに、時々痙攣したような動きと奇声が入って、危ないおじさんかも。するともっと変な人が出てきた。黒ずくめ、長い耳を持った黒子のような、魔法使いみたいな人。前かがみになってくねくねと腕を回し、やっと正面を向いたら、入れ歯の調子が悪いのか、顎をカクカクと左右にずらしたじいさん。どうやら司会者のアシスタントみたいで、何かを指示されているのだが、メインの白いリノリウムが滑るみたいで、歩くこともままならず、ツルツルと滑ってひっくり返っている。どうにかオブジェを定置において、ほっと一安心すると、司会者が出てきて、またあれやれこれやれと指図していて、落ち着かない。バコっと音がして、見ると床を突き破って腕が床から出ている。そのうちに頭が出て足が出た。それは背高のっぽの痩せた男で、バレエダンサーが羨むほどの美しい甲を見せながら踊り始めた。体はグネグネに柔らかく、まるで骨なし人間。黒づくめのじいさんに小さなガラスの箱に押し込められてしまうのに、タバコを吸いながら客に手を振っている。ここにまともな人はいないらしい。人だけではない、建物も奇妙だ。壁が回転して、そこにあったドアがなくなったり、窓が消えたり。走り回っている人に額縁をかけると、突然絵画になったり。奇声と奇異な動きが次から次へとハプニングを起こす。舞台全体が玉手箱のようで、予測のつかない奇想天外な流れに、笑いっぱなしの1時間。(9月29日TNP)


ⒸAugustin Rebetez

ギメ美術館は、以前はリヨンにあった。パリに引っ越した後の建物は使われることなく、ほぼ廃墟となっていた。それをメゾン・ド・ラ・ダンスの働きかけで、リヨン市などが助成して、同劇場のクリエーションの場になるそうだ。その改装前に、ヨアン・ブルジョアが体育館のように広いホールを利用した作品を発表。ちなみにこの場所は、ブルジョアのVR仮想現実作品「フーガ」を撮影した場所でもあったのだ。ゴーグルの中に広がっていた場所が、実際に目の前にあり、そこに自分がいる。めまいのするような映像がどのように撮影されていたのかなどと想像しながら、点在する大きなオブジェの間を歩いていると、照明が暗くなり、天井近くの通路にかかっていた白い布が落ちて、人形のように固まっていた人が、次々と落ちてきた。さすがアクロバッターたち、ほぼ直角のスロープを勢いよく降りて、ひとつのオブジェの方に歩いて行った。すわろうと思うと壊れてしまうのに、離れると椅子がひとりでに元の形に戻る。絶対に人を座らせない椅子の意地とどうにかして座ろうとする男の挑戦に笑い、無重力空間を漂うように、円筒形の水槽の中で揺れる女の服の優雅な動きに見とれ、その次の装置では、勢いよく回る装置の遠心力を利用して、普通ではありえないほど体を傾けながら物思いに耽る女の憂いに浸る。一方で、回転する台の上で、出会っては離れる男女の終わりなき物語や、一本足の不安定な台の上で、その台から落ちないようにバランスを取る男女の絆、そして、振り子人形のようにゆらゆらと揺れる人の人間とも人形ともつかない存在感など、遠心力やバネの力を利用して、バーチャルのようで現実に起こっている風変わりな現象を体験する。ほとんどの装置は今までに使われたものばかりだが、演じる人によって風味を変え、別の切り口で見せることで以前とは異なる作品に仕上げている。また、アクロバットに終わらず、感情や情景を入れることで奥行きを出し、日常の要素を加えることで、ありそうでありえない情景が浮かび上がる。バレエ・プレルジョカージュで活躍していた津川友利江が入ったことで、作品がよりダンス的になり、感情表現が豊かになったように思った。(9月30日アトリエ・ド・ラ・ダンス-ギメ美術館)


ⒸGéraldine Aresteanu

3本の映像とパフォーマンスが、会期中のほぼ毎日上演された。「Shirtologie」(1997)、「ヴェロニク・ドワノ」(2004)、「カンパニー・カンパニー」(2015)、「Danser comme si personne ne regardait」(2018)。「ヴェロニク・ドワノ」は、実際の公演を見ていたのでパス。そのほか2本の映画を見たかったのだが、なんとなく逃してしまった。そこでパフォーマンスの「Danser comme si personne ne regardait」を見に行った。市立病院という特殊な場所であることと、日本から来た人が、動かないからつまらなかったと言っていたのが気になって見に行った。フランスで市立病院というと、大抵の場合100年くらい前の古めかしく威厳のある大きな建物で、特殊な人しか入院できないのではないかと思っていたのだが、街の中心地というロケーションのせいか、今では病院ではなく、レストランや事務所が入るショッピングセンターのようになっていた。かなり広い敷地の中の、古めかしい建物に入っていくと、回廊があり、中庭では仮想現実の映像が無料で見られるようになっていたが、長蛇の列だったので諦め、その横にあったチャペルに入った。椅子はなく、カーペットが敷かれた広い聖堂に、何人かの人がごろりと横たわっている。オレンジ色のオブジェがあちこちに点在するだけで、ほとんどものが動く気配がない。いや、何かがゆっくり動いている。皆の視線の先を追うと、オレンジ色の服を着た人が、動いている。フロアーでのエクササイズのような動きだが、ただゴロゴロしているようにも見える。確かにこれは飽きるなあと思ったのだが、ダンサーの近くで横になっている一般客が、あまりにもくつろいでいる様子なのが気になって、真似してみた。オレンジ色のオブジェは、実はクッションで、これが体にフィットして気持ちが良い。この位置で鑑賞して、タイトルの意味がわかった。「誰にも見られていないように踊る」。人に見せるでもなく、見られたいでもなく、気が向くままに踊る。これって結構気持ちいいことだ。そして、見せないダンスをくつろいでぼーっと見ているのも悪くない。とはいえ、午後2時から7時まで、5時間ずっと見ていた人はいたのだろうか。(9月22日市立病院のチャペル)


ⒸBlandine Soulage Rocca

ダンサトンとは、 Danse+Hackathon=Dansathon。 ん? それって何?

リヨン(フランス)、ロンドン(イギリス)、リエージュ(ベルギー)で同時開催の、ダンスとデジタルのコラボレーションを競うコンクールのこと。

経緯はこうだ。デジタル化が進んでいる現在、ダンス界でも3Dや特殊映像を使った作品が発表されている。では、今後ダンスはデジタルとともにどう進化していくのだろうか。未開発で良いから、最先端のアイディアを知りたいと思ったコンテンポラリーダンス最大のメセナであるBNPパリバ財団が、リヨンのメゾン・ド・ラ・ダンス、ロンドンのサドラーウエルズ劇場、ベルギーのリエージュ劇場と提携して、このコンクールを企画。ロンドンとリヨンがそれぞれ約150、リエージュが約90あった応募企画の中から、各都市5企画を選び、9月28日から30日までの72時間で作り上げるというものだが、実質は28日と29日で作品を制作して、30日は午前中がリハーサルで夕方には公開審査が始まるというタイトなスケジュール。未完成でも良いからできるところまでやってみよう、というオーガナイザー側の声援のもとに始まった。製作会場はひとつの会場内で、係員が朝にドアの鍵を開けて始まり、夜も係員がドアを閉めるので、残業はできない。ひとつのグループは、振付家、ダンサー、各セクションの伝達員、開発担当者、デザイナー、技術者の6人で構成され、制作環境はすべて平等で例外は認められない。

特別に2日目に会場を見せてもらった。リヨンはリヨン市に隣接するヴィルーバンヌ市にあるポール・ピクセル。広大な敷地に並ぶ四角い建物のひとつがそれだ。倉庫のような内部の天井は高く、アーティストたちが熱心に作業を進めていた。伝言板のようなボードに、写真入りで自己紹介が書かれ、その横には世界の未来に望むことが書かれている。「国境のない世界」そんな言葉が印象に残った。

さて、最終日の30日、午後4時半の開場前に行くと、5つのブースの中で、最終調整が行われていた。昨日半分もできていなかった装置が、どうやら完成したのを見て、ほっとする。顔は笑っているけれど、内心みなパニクっている様で、昨日とは違う熱気に満たされていた。

さて、いよいよお披露目だ。観客を2グループに分けて、2企画同時上演。それが終わると、別の2企画が披露されて、最後は1企画を全員で鑑賞する。審査員は、各都市7~8人の文化関係者などで、ロンドンにはウエイン・マクレガーの名前があった。

リヨンで選ばれた企画の振付家は、エリック・ミン・チュング・カスティング、ファビエン・プリオヴィル、グゥエンダリーヌ・バシニ、ミカエル・クロス、アドゥ・ヌコムで、この中から、エリック・ミン・チュング・カスティング、グザヴィエ・ボアッサリ、ロマン・コンスタン、マエル・デラル、アナイス・ニシモフ、アナイス・タルディヴォンによる「Vives…」が選ばれ、BNPパリバ財団から1万ユーロ、フランス文化省から特別に5千ユーロがこの企画を実現するための助成金として与えられた。

これは、携帯電話に取り込んだアプリを起動させると、そこから指示と音楽が流れ、いつでもどこでも、ひとりでも大人数でも踊れるというもの。友達と出会って、ちょっと踊ろうかといってアプリを起動させると、「ゆっくり歩いて」とか「手を繋いでウェーブを起こす様に動かして」などという言葉に合わせて踊ることができるわけで、これが発展すれば、画面上で別の場所にいる人ともコラボができるかもしれないという構想。指示される言葉はわかりやすく、簡単なもので、踊る人の感性でそれぞれの個性が見られて面白い。スマートフォンとイヤホンさえあれば、どこにいても可能な企画で、確かに実現可能な企画。突然道端で踊り出す人が出るというサプライズが見られる日も近いかも。


エリック・ミン・チュング・カスティングⒸBlandine Soulage Rocca

もうひとつ面白かったのは、アドゥ・ヌコムの見知らぬ人が出会って一緒に踊るという企画。これは駅やショッピングセンターなどの一角に機材を設置。目の前に現れた点線を辿ると、別の方向から点線を辿ってきた人と出会う。するとスポットがついて指示が流れる。「挨拶をして」「左へ一歩、右へ一歩」「ラケットを持ったつもりでふたりで打ち合って」など、数分間の見知らぬ人とのフィジカルな出会いができるという企画。これもなかなか面白そうで、観客が実験台に上がっていたが、素人とは思えない盛り上がりを見せていて、さすがフランス人。日本では少し難しい企画かも。


アドゥ・ヌコムⒸBlandine Soulage Rocca

ファビエン・プリオヴィルとミカエル・クロスは、参加者に付けたパッチで鼓動や脳神経の動きを画面に映し出し、それに合わせてダンサーが踊る、あるいは画面が変化するという企画だったが、見ているだけでは面白さが伝わらない。技術的に高度だが、一般に浸透するかどうかが疑問。


ミカエル・クロスⒸBlandine Soulage Rocca

グゥエンダリーヌ・バシニは、太鼓の上に置いた砂が振動で飛び跳ねるのにインスピレーションを得て作ったという、光る粒子でできたバーチャルな人が設置された画面の中で踊るのを楽しむという企画だったが、中央の輪の中に出した手が、どのようにバーチャルダンサーの動きに影響を及ぼしているのかがわからず、消化不良。


グゥエンダリーヌ・バシニⒸBlandine Soulage Rocca

わかりやすく誰もが簡単に楽しめる企画が選ばれたように思った。

リエージュとロンドンの優勝者の作品も見たかったのだが、この場ではまだお預けで、2019年10月19日にリヨンのメゾン・ド・ラ・ダンスにて、ロンドンとリヨンの優勝作品に出会える。入場無料だが要予約(9月27日より予約受付開始予定)。詳しくは、メゾン・ド・ラ・ダンスのホームページで。

トップページへ

リンクアドレスは http://www.office-ai.co.jp/ をご使用ください
© 2003 A.I Co.,Ltd.