ユーロ・ダンス・インプレッション

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4年前に引退と作品の封印を表明したマッツ・エックが、「カルメン」と新作2本を携えてオペラ座ガルニエ宮に戻ってきた。もう二度とエックの作品は見られないと諦めていたファンにとって、この日をどれだけ心待ちにしていたことか。そして「カルメン」と新作「アナザー・プレイス」、「ボレロ」はオペラ座のレパートリーに入った。

エックの「カルメン」は、ことごとく逃していたので、これが初見となった。配役は、カルメンがアマンディーヌ・アルビッソンとエレオノール・アバニャート、ドン・ホセがフロリアン・マニュネとシモン・ル・ボルニュ、エスカミーリョにユーゴ・マルシャンとフローロン・メラク、ドン・ホセの許嫁Mにミュリエル・ズスペルギー。「プレイ」で主役に抜擢されて以来の活躍が目立つシモン・ル・ボルニュが、ドン・ホセ役でアバニャートを相手に踊るのには興味があったが、第1キャストのアルビッソン+マニュネのコンビを所見。

「カルメン」は、エックの作品に見られる時代背景を現代に移行しての設定ではなく、ほぼ原作に沿った展開。大きな丸い玉の上にうなだれて座る男の後ろ姿から始まる。警察官に促されて、トボトボと移動して正面を向いて立った男に向かって銃を構える警官たち。しかし、銃弾の代わりに響いたのは、男たちの馬鹿騒ぎ。一瞬にしてそこは酒場になった。こうして物語はフラッシュバックの形で語られる。

エックの人物描写のうまさと小粋な演出が小気味好い。純情無垢なドン・ホセ、色男エスカミーリョ、そしてジタン仲間の男友達を対照的に登場させ、3人の男の間で変わるカルメンを描き出す。誰にも支配されず、自由奔放だが、その場の感情に偽りはない、憎めない女なのだ。
真っ赤なドレスを着て酒場で踊り、虜にした純情一途なホセの胸から引き出された、目も覚めるような真っ赤なチーフ。この数秒の演出で、ホセの心は抜き取られたことを示唆している。疑いをかけられて入れられた拘置所では、取り調べ担当のホセが職務と私情の間で揺れているのを見透かしてまんまと逃げる。男友達とは元気に踊り、ピンク地に金糸の刺繍の派手なマタドールの服を身につけ、いやらしいほどにお尻を振ってセックスアピールをしながら歩くエスカミーリョには、葉巻を大きくふかしながら妖艶に迫る。ズボンの上から性器を弄ると、オレンジ色のチーフが尾を引いた。体を奪ったのだ。先ほどのホセの赤いチーフといい、このオレンジ色のチーフといい、たった1枚の布が情景を一瞬にして語っている。この後、嫉妬したホセとエスカミーリョの対決の場面は、闘牛そのままに、エスカミーリョが牛の役目になっての対決。マタドールの頭の中には、闘牛しかないようだ。手で角の形をとったまま、エスカミーリョはホセに担がれて行ってしまった。ベッドシーンも残忍な対決シーンもなかったからか、カルメン殺害の場面がリアルに浮き上がる。皆が憧れるエスカミーリョの恋人となり、自信に満ちた体は、ぐらりと崩れ落ちた。

アマンディーヌ・アルビッソンの若さもあるだろう、エック独特のムーブメントを踊りこなし、あばずれで自由奔放なカルメン役を演じていた。また、純情なホセ役のフロリアン・マニュネも適役だったし、エスカミーリョのユーゴ・マルシャンは、もう少しお尻の振り方が自然なら良かったが、それぞれがマッツ・エックの意図をきっちり表現していたと思う。
このカルメンの死とは別に、もうひとつの死があった。拘置所でカルメンを逃がしたことを咎めた上司は、ホセによって殺されていたが、カルメンの死の後に、その亡骸を前にした妻の嘆きの場面が出てくる。オニール八菜が悲しみを演じる妻の嘆きを繊細に表現していたのが印象に残った。
ホセの許嫁は「M」という名で、ホセに心の迷いができた時や苦難の時に、ポッカリと空いた舞台中央奥の入口から、精霊のようにスッと現れ、ホセを導き、そしてふっと消える。恋人として、母としてホセを陰ながら支える。謙虚でいながら、大きな存在感は、ズスペルギーならではで、この作品の重要な要素となっていた。
また、マリ=ルイーズ・エクマンの美術も良い。ホリゾントいっぱいの大きな水玉模様の扇子と、移動式のふたつの扇子の美術だけだが効果的だった。
アナ・ラグラ、シルビー・ギエム版を見たかったが、これからはパリ・オペラ座でエックのカルメンは成長していくだろう。


「カルメン」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris


「カルメン」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris

新作「アナザー・プレイス」は、オーレリー・デュポンとステファン・ビュイヨンのデュエットで、別れを前にした男女の思いを描いた作品。
幕の前に立つ男は、上がる幕を見届けてから、舞台奥のテーブルに向かい、ピアノの生演奏に合わせて、叩きつけるように鍵盤を弾くジェスチャーをした後に下手に入った。入れ替わるように、上手からデュポンが現れ、机に向かう。改めて向き合ったふたり。いつもの生活が始まる。男のジャケットを取り、メガネを拭き、靴を交換してみたり、倒れた相手を気遣ったり。オーケストラピットに落ちた男を、ちらりと見ただけで助けもしない女の態度は、男を見捨てたようにも見えたが、怪我もせずにいる姿に、いつものことという感じで、長年の付き合いを意味しているのだろうと解釈する。喧嘩もするけれど、一緒にいることが素敵に見える時がある。カーペットにくるまった男に飛びつく女。女がどこから飛びかかってきても微動だしない男。ピアノに耳を傾け、服を着替えて再び踊り出したりして、子供のように遊ぶふたり。しかし、何かしっくりしない。それぞれが自分の居場所を見つけてしまったのだ。過去への思いと、知り尽くした相手の思いが交差する。ふたりで机を後ろに運ぶと、ホリゾントが上がって、フォワイエ・ド・ダンスの美しいシャンデリアの間が見えてくる。もうひとつの世界。そこに向かう男と、別の方を見る女。スタッフに諭されて、あっさりと別々の方向に去るふたりの、後腐れのない爽やかな別れと同時に、絆のもろさを感じずにはいられなかった。そして主人を失った机は、ガタガタと音を立ててひとりでに動き出した。


「アナザー・プレイス」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris


「アナザー・プレイス」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris

この机の意味を考えていると、白いスーツの初老の男とスタッフと、ウオーミングアップをする黒服のダンサーたちが現れ、幕間の雰囲気になった。スタッフは前の作品の余韻などおかまいなしにさっさと机を片付けているし、白いスーツの男は、バケツの水を大きな金盥の中に注いでいる。注いでは下手に引っ込み、再び水を注ぎに現れる。これが延々と繰り返される。点在していたダンサーたちがひとかたまりになると、聞き慣れたボレロの曲が始まった。塊になったダンサーはソロ、デュエット、トリオ、群舞と体制を変えながら、リズムに合わせた動きをしては舞台を去る。老人は時折ダンサーの動きに足を止めて眺めるものの、「若者のやることは理解できない」とでも呟くかのような短いジェスチャーをするだけで、水を運ぶことに勤しんでいる。
曲が盛り上がるにつれ、ダンサーの人数は増し、踊りも高揚していくが、初老の老人は、ダンサーに担ぎ出されても、引きずり出されても、水を注ぎ続け、ラストは金盥の中に落ちて水しぶきを上げて終わる。この初老の男が、マッツ・エックの兄、ニクラス・エックなのだ。配役表に役付は明記されず、アルファベット順に列記された出演ダンサーの中にニクラス・エックの名前を載せたのは、マッツ・エックの真面目でお茶目な仕業だろうか。
「アナザー・プレイス」では、ダンサーとして引退し、ダンス部門芸術監督の肩書きを持ったオーレリー・デュポンが全日程を踊ったことに違和感を覚えた人がいたようだが、この作品を踊りこなせるのは彼女しかいないというエックの判断だったのかもしれない。(7月9日オペラ座ガルニエ宮)


「ボレロ」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris


「ボレロ」ⒸAnn Rey / Opéra national de Paris

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