ユーロ・ダンス・インプレッション

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今年も膨大な数の公演が行われたアヴィニヨン・オフ。あの小さな町の133箇所で1,538演目が上演されるわけだから、ワサワサするのは当然のこと。1,538演目といっても、このうちダンスは61公演、ダンステアトルが20公演、サーカスが31。演劇に比べてはるかに数は少ないけれど、全部を見るのは無理。厳選して見るつもりだったけれど、口コミやポスターにつられて窓口に並んでしまう。
今年も台湾が元気で、4作品(人形劇、サーカスとコンテンポラリーダンス)を2会場(コンディション・デ・ソワとCDCNイヴェルナル)で上演しただけだったが、内容が濃く、台湾のレベルの高さを強く印象付けた感じだった。

台湾の伝統的な人形劇は、家族構成で始まったのだとのナレーション。作品の合間にフランス語で説明が入るので、同時に台湾の文化や歴史を知れるのが興味深い。
片手で操れる大きさの木製の人形と仮面と影絵を使って、3人が人形を操りながら踊り、歌い、演技する。生きているように動く人形と人間の間に違和感はなく、複雑な物語がさらさらと進んでいく。中国語の語りを字幕スーパーで追うのには苦労するが、翻訳はわかりやすく、よくできていたと思った。
死んだ女が冥府へ向かう途中、忘却の川の淵で道に迷っているところを、老女に導かれて、輪廻転生する。4回生まれ変わっても満足しない女に老女は言う、人生は、楽あり苦ありなのだと。
人生の教訓を語る道徳的な作品なので、学校を回ったら良いと思う。朝の公演だったので、心が洗われたような1日の始まりになった。(ラ・コンディション・デ・ソワ)

太極拳のような流れる動きが美しいサーカスで、真面目な演技とテクニックに、パンチが足りないようにも感じられたが、進行役的存在の女の子が天使のように可愛くて、ちょっとおっちょこちょいで、ドジで、でも憎めなくて、その愛らしさにほっこりしっぱなしだった。ストーリーとテンポの良い構成も悪くない。演出は、ファン・イジュ。(ラ・コンディション・デ・ソワ)

2年前に高評を得たティムー・ダンスシアター(Tjimur Dance Thater)が、灼熱のアヴィニヨンに再び熱風をもたらした。「バルハング-ヒート・トゥ・ヒート/Varhung-Heat to Heat」。タイトル通り、高密度の熱いダンスで、台湾原住民の伝統と現代をミックスし、疲れ知らずのダンサーたちが歌い踊る。白熱のダンスにダンサーが倒れるのではないかと余計な心配をしてしまうほど。強弱の流れが繰り返される構成が少し単調にも感じられたが、その迫力は一見の価値がある。振り付けは、バル・マディリン。(ラ・コンディション・デ・ソワ)

CDCNイヴェルナルの1日を締めくくったのが、T.T.C.ダンス、チャン・ティン・ティン振り付けの「デジャ・ヴュ」。身体能力の高い8人のダンスは見応えがある。よく踊っているのだが、心に響くものがなく、何処かで見たような印象を得たのだが、だからタイトルの「デジャ・ヴュ」に繋がるのだろうか。あるいは、疲れの溜まった私の体が反応しなかったからなのかもしれない。(CDCNイヴェルナル)
https://www.theatre-contemporain.net/spectacles/Distance/videos


CNDCアヴィニヨン-イヴェルナル
ダンス専門劇場は、さすがに充実したプログラミング。

小柄な女とガタイのでかい男が奏でるポエム。ポエムだけれど、驚くようなアクロバットがあって、ハラハラ、ドキドキ。密度の濃い35分だった。
積もった落ち葉の中でごそごそと動いているのは、8本の足の奇妙な生き物。それは、絡み合ったりぶつかり合ったりしながら、次第にその正体を現した。髭面の大男が仰向け寝て、天井に向かって伸ばした手のひらに、ひょいと飛び乗る小柄な女。人形を扱うように女を振り回すけれど、いじめているのではない、仲が良いのだ。時々喧嘩もするし、無視することもある。でも、片方が倒れてしまうとちょっと心配になる。不安定に見える関係だけれど、ふたりはしっかり結ばれているのだ。
後半は少し長く感じられたけれど、悪くない。観客総立ちのカーテンコール。
振り付け・演出をしたファニー・ソリアノは、ヌーボーシルクのアーティスト。ネットでヒットした動画では、自然を取り入れた自身の空中芸が詩的で素敵だった。今回見た「Phasmes」もそうだが、テクニックを見せるだけに終わらず、ダンスに近いアクロバットに、風景や感情を入れる作風が心地よい。 https://www.youtube.com/watch?v=NXE-aMc7HRc

暗闇に突然ついた蛍光灯の白い光が線を描く。四角く囲まれた空間の中で、若い男がヒップホップの動きをしたり、震えたり。これまでのミケレッティの作品に見られるような、エネルギッシュでダイナミックな動きはほとんどない。頭を振り、身体を振り、放心したように空を見つめ、狭い空間を歩き回る。正直言って、何を言いたいのかわからなかったのだが、後でビデオを見ると、その震えや表情から、アフリカの若者たちが直面する不安や恐怖、希望と現実のジレンマが見える。もっとダンサーに近いところで見れば、感情を直に受けられたのかもしれない。
ミケレッティは、アフリカを周り、素晴らしい才能を持ったアフリカ人のダンサーを紹介している。国の事情で国外から外に出ることを許されないダンサーもいるという。そんな活動を応援したい。
https://vimeo.com/238586057

暗闇から一瞬にして浮かび上がったシルエット。舞台中央奥にぽっかりと空いた空間、スモークがゆっくりと流れる中、人が佇み、倒れ、あるいは短い動きが見える。映画を見ているようなフラッシュバックの手法にはインパクトがある。やがてそこから出てきた人たちの踊りには、キレがあり、ブレのない素早いムーブメントにあっけにとられる思いで見入った。ものすごくよく鍛えられたダンサーたち。これが完璧すぎて、飽きてしまうのが欠点といえば欠点。後半の、ダンスも音楽も同じトーンが続いたのも冗長に感じられる原因だったと思う。
以前に見た「La Belle」など、質の高い作品を作っているふたりの、今後の活動が気になるところ。
https://vimeo.com/153367360

評判は良いのだが、私にはこれといって感じるものがなかった。確かに動きはたくさんあり、ダンサーは素晴らしく、それなりに面白いのだが、何を言いたかったのだろうか。交響曲、ミュージカルや映画音楽など、バラエティに富んだ選曲で、それをつぎはぎして、それに合わせて好き勝手に踊っているようにしか見えなかった。
https://vimeo.com/168965599

強烈の一言。テクニックを見せるとか、動き回るからではない。彼女の存在感そのものが強いのだ。それは、クリスチャン・ルイズがラスベガスで撮った写真の展示室という環境が、作品をさらに高めていたからだろう。小さなトランクを持って派手なネオンを見上げる男の後ろ姿、大通りの真ん中で嘔吐する浮浪者、アジア系の娼婦たち。リッチに遊ぶイメージとは程遠い人々、あるいはそのマネーゲームに群がる人の写真が並んでいる。その中で横たわり、こぶしに力を込めて、ロボットのようにギクシャク動くファン・アカー。この世の不条理を告発しているように見えた。


©Simon Letellier

バリバリのヒップホップ。といってもフレンチテイストのちょっとコンテンポラリーダンス系。これにカポエラも加わって、リッチな作品。若いダンサーたちのエネルギーはすごい。ただ、たくさんのことを語ろうとして散漫になってしまったような気がした。
https://www.youtube.com/watch?v=RaCDoqkb6VE

何をどうということはないのだけれど、好きだった。動きの質なのか、そこで語られることなのか、繋がった物語があるわけでもなく、その時その時の相手との関わりが、生まれては消えていく。さらりとかわしながらも、それぞれのダンサーの会話が見えるようで、それがひゅるひゅると繋がっていく構成が好きだった。
https://vimeo.com/199535388


ゴロヴィン劇場

昨年に比べて、少しヒップホップが少なくなって、コンテンポラリーが増えたような気がする。気がするというのは全公演を見られなかったから。8公演中、2公演しか見られなかったのが残念だが、そのふたつはバッチリ!

子供向けと侮ってはいけない。子供を集中させるためには、相当の技量がないとダメだから。 振り付けのエミリー・ラランド始め、ダンサーは、プレルジョカージュの元で鍛えられた人ばかり。期待しただけのことはあった。
演劇風に始まって、すうっとダンスに流れていく。アヒル、鳥、狼、ピエールとその父親。イマジネーションを膨らませてくれる衣装と小道具がいい。ダンスもその役にぴったりで、優雅で滑稽で愛嬌たっぷり。元気なピエールは、飛び回ってアクロバットを披露して、踊りまくる。さすがダンサーのレベルは高く、鳥はあくまでもしなやかで、アヒルは足ひれをつけて滑稽に動き回る。獲物を狙う狼は、客席に入り込んで客を脅し、出口から逃げるという演出がいい。身近な小道具を使って、キメの細かい構成にブラボー。 物語も明確、ダンスもバッチリで、楽しい35分。振り付けのラランドは、来年度からCNDCエックスの提携振付家となる。
https://www.youtube.com/watch?v=rFGthF9pDeI

口コミで絶対面白いと言われて行って、大当たり。ヒップホップ、アクロバットのダンスと書いてある通り、5人の男たちが天井すれすれ、客席にも飛び出すほどの勢いで飛び交う。 仲良かったり喧嘩したりの、まあよくあるストーリーではあるものの、それをうまく組み合わせているし、バイオリンを弾くおじさんがいい味を出していて、ダンスも音楽も良し。公演が終わったのが夜11時過ぎだけれど、今日1日をいい感じで終われたと、満足。
https://www.theatre-golovine.com/glaucos


マニュファクチュール

ダンスは少ないけれど、セレクションがいい。上演時間が1時間半以上と表示されているのは、郊外の劇場に行く無料送迎バスの移動時間も含まれているから。そういえばこれまでに見たダンス作品は、郊外だったなあ。

それはまるで生きる美術品だった。マキセンス・レイの身体だということはすぐにわかる。でもある瞬間、それは全く別のものに姿を変える。
横たわる裸体の胃のあたりを照らす細いスポット。足まで見えるが、顔は見えない。白い腹がゆっくりともち上がり、元に戻る。2度目に持ち上がった後、ゆっくりと体がよじれた。白い四角い背中と、異様に膨らんだ黒ずんだ臀部。照明で影ができているのだ。ロダンの彫刻を思い出した。腕が持ち上がり、指が動くが、見方によっては、人の体ではない物体に見える。床に接した肩から腕の付け根の部分が赤く光り、臀部は黒ずんでいる。やがて赤い部分が黒い部分を侵食し始めた。身体とわかっていても、その存在を消し去る何かがそこにあった。身体を追求するレイの究極のソロ。(マニュファクチュール)
https://www.youtube.com/watch?v=IzZ_um6vKC0

11人の男がすっぽんぽんで踊ることが話題になって連日満席。裸になれば客が入るとでも思っている不謹慎な作品かと思って無視していたら、2年前の初演を観た知人の絶賛演説を聞いて、無理やりねじ込んでもらった。宣伝用の写真は素っ裸のものばかりだったので、覚悟していたら、白い布を被ったお化けのような11人が微妙に揺れているだけの始まりに、ちょっと拍子抜け。動くうちに自然に布が落ちて、裸体が見えるけれど、一瞬驚くだけで、その後は裸体という衣装をまとっているように見えてきて、裸がどうのこうのという議論のレベルではなくなる。身体の神秘と美しさ、そしてそこから発せられるエネルギーがダイレクトに伝わってくる感じだ。グループになったり、個人になったりしながらの構成で、男ならではの力強さが感じられるが、ぐさりと突き刺さるものがない。一緒に見ていた知人も拍子抜けしたようで、どうやら初演のメンバーがガラリと変わったことや、あちこちで上演しているうちに、当初の振付家の意図が薄れてきたのではないかということになった。生きる人間が繰り返し演じることの難しさを見た感じだった。(ラ・マニュファクチュール)
https://www.youtube.com/watch?v=nbswO0A1org


パランテーズ劇場

サン・ドニ県のルイ・アラゴン劇場推薦のアーティストが出揃うパランテーズ劇場は、絶対に見逃したくない。朝10時から始まる公演は、ショーケースという感じで、30分の作品が3本立て続けに上演される。照明はないし、袖幕もないし、小さな会場だからごまかしが効かない。多くのバイヤーとプロが押しかけ、予約必須の会場は、心地よい緊張感にあふれていて、お気に入りの場所。

くつろいだ雰囲気で登場した男二人ふたり。ポップなジャケットに、バミューダとハイソックスにバスケット。それじゃあ始めるかという感じでボタンを踏むと、ビートの強い音楽と、照明ランプがついた。音楽に合わせて踏む軽いステップが少しずつ変わっていく。ミニマルな動きは、見ていてはまる。少しずつ変わっていくステップを、ふたりともきっちり揃って動いているのは見事だなあと感心していたら、ボタンを踏んで音楽を変え始めた。ビートの強い曲がピアノ曲になってもステップは変わらないということは、ベースのリズムは共通ということか。面白い発見だ。エチュード的なピアノ曲、交響曲、ロックンロール、ポップスと、音楽が次々と変わり、振りは曲に合わせた動きになっていく。ビヨンセ風まで出て、腰を激しく降って客を煽れば、客も答えて盛り上がる。それぞれが好きなように踊り出し、音楽もジャンルにこだわらないミックス状態。ただ、このシーンが長すぎた。繰り返される動きにはハマるけれど、動きが自由になると、さらなる刺激が欲しくなるもの。最初の予想外の進展がなくなってしまったのが惜しい。
https://vimeo.com/280687904

男が板を持って出てきた。どうやらそれは神聖なものらしい。厳かに床に置くと、次から次へと板が運び込まれてきた。掛け声とともに積み上げる様子は、日本の祭りの男衆のようだった。一仕事を終えた男たちはそこに座ってくつろぎ、やがて木を叩き、足でリズムをとって音楽が始まる。するとそれに合わせて踊り出すものが現れる。フォークロアダンスのようなもので、集団→音楽→ダンスは、世界共通の流れのようだ。フォークロア、タンゴ、コンタクトが混じったダンスは面白い。 客に手拍子を促し、山となった木材を体で崩し始めた。このあとは、飛び込んだりのアクロバット的なリフトあり、コンタクトありの男らしい力強い踊りの連続。
https://www.youtube.com/watch?v=CKq1XOiECo0

サンドリーヌ・レスクランは、メチャメチャ身体が利く。見ていて気持ちがいい。もうひとりの女性ジョアンナ・ファイとのデュエットは、ふたりの質の異なるダンサーの掛け合いは、ちょっとまじめでちょっととぼけていて面白い。ただ、前に見た作品もそうだったが、前半は面白いのに、後半がだらけてしまう。前半の展開が面白いだけに、残念。

ステージの横から客席を見る男。胸を叩き始め、それがリズムを刻むと、録音された同じリズムが流れ、それに合わせて体がリズムを刻む。細かく体を揺らし、くねらせ、骨の一本一本を、関節を、内面から動かしているようだった。静かになると、アラブ語? でいくつかのフレーズを話し、歌い出した。指を鳴らし、体を叩き、再び録音された同じ音に切り替わった。今度は短い振りを繰り返し、回る。それはトルコの旋回ダンスのようだった。トランスに入るように踊り続け、終わる。
照明が入ると面白くなる作品だと思った。
http://filipe-lourenco.com/creations/pulse/

リズムのある音楽に合わせて、体を激しく8の字に振りながら踊る女。髪を振り乱し、足を踏ん張るようにして踊っている。その曲が終わると、髪を結い、ゆったりと体が空気の中で泳ぐように踊り始めた。何かを求め、それが儚く消え、空を泳ぐように見、行き場を探している。
アンヌ=フロール・ドゥ・ロシャンボは、とても良いダンサーだが、作品のテーマがいまいち明確に見えてこなかった。何かを求める人の、漠然とした希望と、空虚な現実ということか。

たったの1年で、別人のようにダンサーは上手くなっていた。ただ、踊りこなしてうまくなったことで、作品の魅力が半減したように思った。荒削りで、将来の夢も希望もなく、現状を打破したいのに何をしたらよいかわからなくて、無謀に突っ走るだけの若者というイメージが強く印象に残っていたのだ。それが洗練されてしまった。このことを振付家に言ったら驚かれたのだが、未完の魅力というものはあるはず。作品を洗練させて仕上げることは大切なことだけれど、この作品には、荒削りな方が魅力的だったと思う。
リズムに合わせて体をゆする男。それは、リズムがなくては生きられない病気にかかっているようだった。しかも彼は、置かれた白い机から離れられない。常に体の一部が机に触れている。転がって少し離れても、引き寄せられるように、あるいは自ら進んで机の所に戻る。 机の下にゆっくりと身を隠して終わる最後は、引きこもりのようにも見え、現代の若者が取り憑かれている病を見たような気がした。
https://www.youtube.com/watch?v=zrGr9Ldi9Ks


その他の劇場

男性の活躍が目立つヒップホップ界で注目されている女性振付家が、ミレーヌ・デュアモーだ。何作か見ていて、その度に成長が見られるので、今年のアヴィニヨンでは何を見せてくれるのかと期待したら、今までとは傾向を変えて、ダンステアトルだった。ダンサーふたりに役者ひとりが絡むコメディタッチのヒップホップ解説作品。アヴィニヨン・オフは、どこも貸し小屋だから、客が入らなければ赤字になってしまう。が、客集め目的の薄っぺらな作品は、客が入らない。大衆受けして、かつプロのレベルまで引き上げないと、上演する意味がない。何しろここはダンスの市場でもあるから。その兼ね合いが難しいが、デュアモーはそこをちゃんと把握していたと思う。ヒップホップの歴史を語りながら、 役者が面白おかしく演じて物語を仕立て、そこにダンサーがボケとツッコミで介入する。最後にはきっちりと自分の方向性を語って、綺麗にまとめた。その語りが印象的だった。
「 今では誰も語らなくなってしまったステファニーの踊りを見て、それまでの観念を完全に打ち砕かれました。力強くエネルギッシュに踊ることが当たり前だったヒップホップ界の中で、ステファニーは、流れるような動きを取り入れ、ポエムのある作品を作って世界中をツアーしていました。」
元気にテクニックを見せるだけのヒップホップとは違う、体の芯から動くしなやかなムーブメントを追求するデュアモーの、コンテンポラリーとは一味違うヒップホップのコンタクトが面白い。
最後のネタバラシはなくても良かったと思うけれど、芸術性の高いダンス作品と、大衆受けする作品をうまく使い分けて、きっちり観客にアピール。コンセプトが明確な作品は満席になる。(ルシオール劇場)
https://www.youtube.com/watch?v=-TshSYeZBtc

「幸せなシーシュポス」とは、一体何だったのだろうか。こんなにスローなヒップホップは見たことがない。そこに悲劇があるわけでもなく、喜びがあるわけでもなく、ただスルスルと流れていく。でもそれが清々しいのだ。奥が深い作品というのは、様々なことを想像させてくれる。その記憶は頭に残り、時間が経ってもフラッシュバックのように蘇る。そしてそのたびに異なるインスピレーションを与えてくれる。これはそんな作品だった。
この後9月のリヨンビエンナーレに招待されている。それだけ実力のある作品なのだ。(ルシオール劇場)
https://www.youtube.com/watch?v=EBu_FoANPxI

ニジンスキーの晩年、様々な思い出が蘇る。思い出と、今の自分と、そしてこれから。マリー=クリスティーヌ・マゾラの台本を元に作られたダンステアトル。パリ・オペラ座のダンサーだったベルナール・ピサニが語り、4人のダンサーが踊る。フェザル・ゼゴウディの振り付けの美しいこと! 身体が奏でる動きに見とれるとともに、オリジナリティ溢れる作品に、ニジンスキーとは別の世界を旅するようだった。特に「牧神の午後」の男女のデュエットは夢を見るように美しく、見応えがあった。群舞で踊るダンサーのレベルに疑問が残ったものの、ソロやデュエットとなると俄然と個性を発揮するのが気になったが、ソロやデュエットとなると見違えるほどよくなるのが気になったが、ニジンスキーという伝説を肌で感じられるような作品だった。そしてそれ以上に、ゼゴウディがいかにダンスを愛しているかがひしひしと伝わってきた事に、感動を覚えた。(コレージュ・ド・ラ・サル)
https://www.youtube.com/watch?v=Crvr2BULYIA


毎年アヴィニヨン・オフに参加したり、リヨンのダンスビエンナーレのデフィレの振付家に選ばれたりと、着実に基盤を固めている振付家。今年は、異色の演劇人パトリス・ティボー演出、CCNラ・ロシェルの芸術監督カデール・アトウ監修の、豪華なスタッフによるコミカルなソロ作品を発表。密度の濃い楽しい作品に仕上がっていた。ニーチェの晩年を描いた思慮の深い「N」から少し方向転換して、昨年からコミカルな作品を提供している。アヴィニヨンではそれでよいのだと思う。
有名スターの本番中に楽屋を掃除する清掃員。主人が舞台に出ている間に掃除をしなくてはならないのに、ステージから流れる曲に合わせて踊って歌ってスター気分。でも、手にするのはマイクではなく掃除用具。勝手に動き回るはたきに振り回され、間違って洗剤を飲んでしまったり、女性に見立てたボディをナンパしても振られたり、コートの女性にはほっぺたを叩かれる、なんとも情けない清掃係。プレスリーになりきって歌うも、コードを引っ張りすぎて停電を起こして大慌て。鬼の居ぬ間の洗濯は、ハラハラドキドキ。ドジだけれど憎めないやつなのだ。モップの棒を利用して、ドレスとの一人タンゴは悪くない。笑いの中に、テクを入れ、いろんなタイプの踊りを見せてくれる。構成もダンスもよくできていた。(コレージュ・ド・ラ・サル)
https://www.youtube.com/watch?v=37X_fKHhDGE

暗闇の中に白いものが動いている。少し上の方でクルクルと白いボールが回っている。床の上を行ったり来たりしていたのは、ダザンの足だった。床をするように動く白いものと、風車のように回る白いボールが、ビジュアル的に綺麗だ。ゆっくりと進んでは、突然大きく弧を描く白いボールの間を切るように動く腕。そして静止。光に照らされた道を進んでは戻る。
心のうちを語るように現れる四角いスポットの中でのもうひとりの自分。思うようにいかないボールの演技、子供をいたわるように、体の周りを這わせたり、指だけが細かく動いたり、肩甲骨が不気味に動いたり。スポットの中での短い動きが、暗転になるたびに少しずつ変わっていくのは、時間の経過を表しているのだろう。 以前に見た時より、随分洗練されていた。踊り重ねることの結果がちゃんと現れている。
光と影を巧みに利用して、ジャグリングだけでなく、身体表現としての動きが混ざっているのがいい。ボールを操る行為に感情が絡み、ポエムが生まれている。アルザス、シャンパーニュアルデン、ロレーヌ地域圏グラン・エスト推薦作品(ラ・カゼルヌ)
https://www.youtube.com/watch?v=_YbwgfxV3E4

今年は日本からの参加はたったの3作品で、昨年に引き続きお箏の川口悦子さん、初登場の中佐真梨香さん、そして常連となった花柳衛菊さんだ。花柳衛菊さんの公演しか見られなかったのが残念だったが、衛菊さんの公演は、今年もほぼ毎日満席で、日舞に関心のある人が多いことを喜ばしく思った。派手な動きはないものの、洗練された動きが心を打つのだろう、公演後に衛菊さんに声をかける人が絶えない。天井の低い小さな会場ゆえ、美術もまともに置けず、袖裏がほとんどないところで、よく着物の早替えができるものかと感心するばかり。決して恵まれた会場ではないけれど、箏の生演奏を組み合わせて、うまく構成している。
作品を売るのが目的のカンパニーが多い中、衛菊さんは踊りに集中するために、外部宣伝は一切せず、午前中はリハーサル、午後に踊った後は、軽く食事を済ませたのちに、公演を見て回る生活をしている。繰り返し舞台で踊る事で自己を磨き、他の人の作品を見る事で感性を磨く。これができるのはアヴィニヨンだけだという。派手な宣伝をしなくても、見ている人は見ている。この後、衛菊さんは南仏のメラルグ市に招待され、この作品を上演した。(ガラージュ・アンテルナシオナル)

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