ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression

昨年から続くエトワールの定年退職。近年は退職後もゲストダンサーとしてオペラ座で踊ったり、別のプロジェクトで活動を続けるダンサーも多いので、踊りが見られなくなると焦ることも少なくなったがそれでもやはり見られるうちに見ておきたい。今夜はほやほやのエトワールと、退団を間近にしたエトワールが出演する一夜でワクワク。
「フォール・リヴァー伝説」は、1892年に起きた殺人事件を題材に、1948年にアグネス・デ=ミル振付、モートン・グールド作曲により初演された作品。1996年にオペラ座のレパートリーに入ったが、私が見た日が19回目の上演なので、今まであまり上演されていなかった作品だ。父と継母を殺した容疑で死刑宣告を受ける女性が題材で、幸福だった少女が狂気に走るまでの心理を描いている。裁判の宣告を受けるシーンから始まり、回想をたどる形で物語は進行する。両親の愛情に満たされていた少女時代、大好きな母の死、そして冷酷な継母が仕切る会話のない暗い家庭。自由を奪われ精神的に不安定になっていく女性役を踊ったのが、昨年末にエトワールに任命されたばかりのアリス・ルナヴァン。定評通りの安定したテクニックと繊細な心理描写で演じきった。唯一の心の安らぎを与えてくれた牧師と会うことも阻まれ、出口のない孤独へと追いつめられた末、抑制出来なくなった感情が異様な行動として現れ始め、薪を割るための斧が殺人という発想に結びつく。夢の中で天国の母と出会いを喜んだのもつかの間、服に着いた血を見た母の驚きと悲しみから現実に戻る。死刑を宣告され、ただひとりの理解者であったはずの牧師も去って行く。その背中を追って伸ばした手は、罪の重さと後悔と、更なる孤独への恐怖、そして殺人という形でしか自分を取り戻すことができなかったことを理解してほしいという、希望も何もかもが崩れ去って行くむなしさとともに震える拳に変わっていった。交差する思いがその手に見事に表されていた。


©Anne Deniau / Opéra national de Paris Alice Renavand

さて、休憩後のビルギット・クルベリ振付の「マドモアゼル・ジュリー」は、今シーズンで引退するニコラ・ル・リッシュと来年引退予定のオーレリー・デュポンの熟年コンビに期待満々。わがままで気位の高い令嬢ジュリーが下男を誘惑したことから始まる悲劇をデュポンがさすがの貫禄で躍りこなした。何でも手に入ると豪語する傲慢な態度でフィアンセ(アレッシオ・カルボンヌが紫色の衣装で演じた成金お坊ちゃまがgood!)を馬鹿にして婚約破棄したことへの優越感、愛の魔術師が踊るという夏至の夜に身分の違う労働者の祭りの中に入り、好奇の目で見られることの新鮮さと心地悪さ、それを払いのけるかのよう下男を誘惑する娼婦のような態度。望んだはずの情事で身も心も傷つき、行き場を失ったジュリーは家宝を持って家出しようとするも、先祖の肖像画の幻覚におびえて部屋に戻る。しかしそこで待っていたものは死だった。自殺なのか、不慮の事故なのか。飛び出していった下男が開けたドアの向こうには朝日に照らされたいつも通りの平穏な町並みが広がっているのがこの悲劇を浮き上がらせていた。このプライドの高い女性が崩れて行く様子はデュポンの細やかな演技によって描かれる。一方、下男役を踊ったニコラ・ル・リッシュはさすがというほかはない。テクニック、演技力ともに、まさに円熟のダンサーだ。令嬢に対するあこがれと身分を見極めなくてはならないという良心の間で揺れていたのが、令嬢と関係を持った後では傲慢な男になる。しかし伯爵帰宅の合図が鳴ればただの小心者の小間使い。二重人格のようにコロコロ変わる内面を見事に演じている。全く完璧なコンビによる公演で、この2人が退団した後のオペラ座はどうなるのだろうかと余計な心配をしてしまった。振付においては、バレエのパをベースにしたシンプルなムーブメントが忠実な下男を的確に表現していたのが印象に残ったのと、どこかしらマッツ・エックを連想させる振付・演出に、彼が育った環境を見るようで興味深かった。また、酔っぱらいの使用人を演じたタケル・コスタの演技が光っていたのと、元オペラ座バレエ団ダンサーだった男性3人(ジャン=クリストフ・ゲリー、アンドレイ・クレム、リチャード・ウィルク)をゲストに招いて、村の老女を演じさせたのは面白かった。(3月3日オペラ座ガルニエ宮)


ニコラ・ル・リッシュ©Anne Deniau / Opéra national de Paris


オーレリー・デュポン©Anne Deniau / Opéra national de Paris

バンジャマン・ミルピエのプロジェクト、L.A.ダンスプロジェクトが昨年に続いて行われた。フランスで注目を集めているエマニュエル・ガットと梅田宏明、そしてアメリカの若手振付家と自身の作品がレベルの高いダンサーによって演じられ、4つの質の異なる作品を楽しんだ。

エマニュエル・ガットの「Morgan's Last Chug」は、カラフルな衣装とスピーディーなムーブメントで、流れる川面を漂うようにダンサーが踊り構成が変わり、それがある瞬間にぴたりとはまる。バラバラのようで実はつじつまが合う隙のない構成は気持ちがよい。ガットらしい振付だ。ただ、大胆且つ繊細な照明がフォーサイスを思い出してしまったのはなぜだろう。ダンサーのひとりが怪我で降板し、6人の構成を5人で踊ったのに違和感を感じなかったのは、ガット特有の「再構築」のおかげかも。女性ダンサーのRachelle Rafailedesのダイナミックな踊りが気に入った。


Morgan's Last Chug (L.A. Dance Project - Chorégraphie et concept visuel: Emanuel Gat) ©Marie-Noëlle Robert - Théâtre du Châtelet

次の梅田宏明の新作「Peripheral Stream」は、耳に突き刺さるようなノイズ音とモノクロの線が高速で揺れ、走り、静止する。音も映像も振動の中にいる感じで酔いそうになるが、不快感の限界直前に音は止み、映像は落ち着く。そして、観客が不思議な陶酔感を得ていくのは、ムーブメントにヒューマニズムを見いだしたからだろう。映像と音が池田亮司の「テストパターンNO.3」を思い出したのが気になったが、CGはここに行き着くものなのかもしれない。


Peripheral Stream (Création mondiale - Commande du L.A. Dance Project - Chorégraphie et concept visuel original: Hiroaki Umeda) ©Marie-Noëlle Robert - Théâtre du Châtelet

バンジャマン・ミルピエの「Closer」は、2006年に創作され、初演当時のダンサー、セリーヌ・カッソンヌとアレクサンダー・ヒルがゲストとして踊った。白い衣装のカップルが生み出す見事なハーモニー、流れるようなムーブメントに会場は酔いしれた。特にカッソンヌが素晴らしく、幕開きの数秒の動きを見ただけで惚れ込んだ人も多かったと思う。豊かな振付であるにも拘らず長く感じてしまうのは、フィリップグラスの繰り返しの多い曲のせいか、単調なトーンの振付のせいなのか…。


Closer ( L.A. Dance Project - Chorégraphie: Benjamin Millepied) ©Marie-Noëlle Robert - Théâtre du Châtelet

最後のジャスティン・ペックの「Murder Ballades」は、ホリゾントの大胆なデッサンが印象的で、ショートパンツにスニーカーというエネルギッシュで陽気なアメリカらしい雰囲気の作品だったが、ショートパンツとスニーカーの組み合わせは、足の長さを固定してしまい、伸びのある動きが感じられなかったのが残念だった。
全体的に、作風の異なる組み合わせで、バランスの取れた一夜だった。(3月8日シャトレ劇場)


Murder Ballades (L.A. Dance Project - Chorégraphie: Justin Peck) ©Marie-Noëlle Robert - Théâtre du Châtelet

小柄で痩せっぽちのその身体のどこにこれだけのエネルギーが隠れているのだろう。細かくて速い動きの連続だ。足を交互に交差させるステップ、激しく頭を振り、全身が振動の中にいるみたい。それが延々と続く。そして、さんざん動いたあとの三点倒立。普通のダンサーでは不可能な技。こんなことをしたら心臓が爆発してしまう。後半の男性とのデュエットは、彼女のもうひとつの心の内面を見ているようだった。ただ、気になったのが梶芽衣子の「修羅の花」を使ったこと。演歌のメロディが好きだと言っていたのを記憶しているが、歌詞を理解してしまう日本人には納得がいかない。「命の道を行く女、涙はとうに捨てました」って、彼女は女を捨てたのかしら。だから少年のようにショートカットにしたのかしら。そしてこの歌詞の次に「怨み」とくれば、これはエドワード・ロックに対する思いかしら。確かにラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスで身体を壊し、精神的にも肉体的にも踊れない身体になっていたのを、ものすごい時間と努力を重ねて復活しただけに、この歌詞に彼女の過去の思いを重ねてしまうけれど、それは考え過ぎかな。多くの曲が使われていたのは、曲の内容に意味があるのではなく、日々の変化のように流れて行くものとして捉えたのではないかと思うけれど、選曲と動きの質に少し引っかかるものがあった。ともあれ、新たな方向性を追求する姿勢には限りない可能性を感じた。これが彼女の素晴らしいところだ。(3月4日104)


©André Cornellier

ふ〜全くロビン・オーリンは客を乗せるのはうまいし、乗せるのがうまい役者を使っている。どこからともなく聞こえてきた歌声に耳を傾ければ、派手な服を着た一団がホールを練り歩き、お祭りか! と期待するも、開場待ちのお客を餌食にして褒め落とすパフォーマンス。笑いのうちに会場に入れば、ひとりで笑っている派手な背広の男性が最前列に。イヤホンで携帯電話をしているのかと思ったら、そうではない、この彼がこれから演じるのだった。よく見ればホリゾントに大写しになっているその人ではないか! そして、彼の餌食になったのが隣に座る控えめな若者。肩を組まれ、「君と僕は友達だ」と抱き寄せてほっぺたにチュ。いやがっているのが見え見えだが、おかまいなしに話しかける。これじゃあ飲み屋の酔っぱらいのおじさんが若者に絡んでいるのと同じ構図じゃん。しかし彼はアーティストで、自らのカンパニーを率いるジェームス・カーレなのだ。いやがる若者は映像担当の裏方で、そこに忠実な召し使いごとき照明スタッフが出てきて、カーレのわがままな要望を律儀にこなすから会場からは笑いが絶えない。客席に入って女性から鞄を借り、挙げ句の果ては洋服まで貸してほしいと頼む。当然女性は断るわけだけれど、これがお見事、天井からつり下げられていた長い布を引き摺り落として身体に巻き、「ほうら、彼女のより素敵なドレスでしょ!」。他にも観客とのコミカルなやり取りに爆笑。笑いだけではない、彼の生まれたアフリカの村の映像が流れ、その合間に道を歩く映像が流れるのだが、何と靴がイギリスの国旗。そうだ、南アフリカはイギリスの植民地だった。皮肉か批判か好意か。「ロビン」と「僕」の連発が少し耳についたけれど、これだけ楽しませてくれれば文句は言えない。


「Coupé-décalé」©Pierre Sasso

そしてこの笑いをかき消すかのように舞台になだれ込んできたのが、先ほどのアカペラ集団。こちらの方は、ジェームス・カーレ振付で彼のカンパニーダンサーが演じる。アカペラ軍団なのかダンサーなのか、何でもできてしまうマルチパフォーマンス集団と見た。踊り、歌い、自分たちをアピールする元気な若者達。札束を出し、それで鼻をかみ、お尻を拭く。今度は本物のお札を出してきて、客に配る。「人嫌いでも、他人の金が好きなやつがいる。」とは鋭い言葉。フーカフーカという合い言葉で、楽しく気楽に生きようぜ!(3月6日CNDパリ)


「On va gâter le coin !」©Pierre Sasso

劇場でレジデンスをして作品を創る効果は大きい。作品が空間にぴったりと合っている。元々空間使いのうまい人だとは思っていたけれど。男性ばかり11人が織りなす7枚の絵、死、笑い、戦い、踊り、後悔、愛、恐怖。生きる絵画を見ているようだった。うめくような声と重い扉を叩くような規則的な音の中、ダンサー達は舞台に横たわり、そこに不気味な影が落ちる。これはまさに地獄絵。そんな重い雰囲気を消すように明るいグレーのカーテンがシャーッと引かれ、現れた次のシーンには、酔っぱらっているのか精神に異常をきたしているのか、ふらふらとさまよいながら笑い続ける人の姿があった。マクベスを連想した第3場、広がったスカートを付けて女性のようにしなやかに踊る男、離れた机から向き合って台本を読む人たち、全裸で笑いながら出てきた男性。全体的に絵画を見ているような印象だったのは、ひとつのシーンが長く、ダンサーと演奏家がテーマごとにがらりと変わるシンプルなようで非常に凝った衣装を着て、ほぼ同じ立ち位置での動き演じるのと、移動があっても同じようなトーンの動きが続いたからだろう。生演奏の効果も高く、数人の演奏家が時に吟遊詩人、時に路上演奏家、時に悪魔の使いとなる。舞台転換が歌舞伎のように走って舞台に幕を引くアイディアも面白い。重くて変化の少ないシーンが続くので最初はつらいものがあったが、繰り返される動きを見ていると、質や感情の詳細が浮き出てきて、いつの間にかはまっている自分に気がつく。これがアルバン・リシャールの魅力なのだが、私にはちょっと重すぎた。(3月5日シャイヨー宮)


©Agathe Poupeney

昨年のアヴィニヨンで見た作品同様、ダンスの中に音楽が組み込まれていると言うか、音楽の中にダンスが組み込まれていると言うか、音楽とダンスと、そして照明が綿密に計算され融合していた。
ダンスを見に来ているのに、演奏家が舞台の真ん中で延々と演奏するのを聴くのは妙な感じだ。見る公演を間違えたかなと不安になった時、演奏家達はさっさと舞台からはけてしまい、ひとり残ったピアニストのパフォーマンスとなる。現代音楽だから音も動きも激しい。これもダンスの一部かなと思っていると、彼もまたぶっきらぼうに演奏をやめて怒ったように去ってしまった。いったい何が起こったの? 舞台は空っぽだし、と心配していたら、お待ちかねのダンサー達が舞台監督に導かれて出てきた。音楽家達がいた所と同じ位置に着き、踊り始める。波紋を描くように、波が揺れるようなムーブメントと構成。その動きはピアノの鍵盤が動くようにも見えるし、床に薄く描かれた白い円の軌道に呼応しているようにも見える。独り離れていたダンサーを残して去って行った後、男性ダンサーのソロとなる。そこへ先ほどのピアニストが再登場して演奏を始める。そして気がついた。彼らは冒頭の演奏家達の音楽に合わせて踊っていたのだ。観客には無音でも、彼らの頭の中では音楽ががんがん鳴っていたのだ。こうしてダンサーとミュージシャンが一緒になれば、ぴたりと一致しているのがわかる。ピアノが移動し、ダンサーと演奏家がゆっくりと移動し、それぞれの位置へ。そこで初めてダンスがメインの作品になるが、ダンサー達は音楽そのものを体現しているのだ。踊るのではなく、耳から入った音楽をそのまま身体で表現している感じだ。何と不思議な感覚。それに合わせて天井から発せられる蛍光灯の白い四角い照明が橋を渡るように移動し、長い線を描いた後に消えた。ダンス作品でありながら、音楽と照明への新しいアプローチ。ただ、欲を言えばリズムのない現代音楽とモノトーンの衣装、装置、照明はうすら悲しい。また、ズックの靴底とリノリウムがこすれるキュッキュッという音が気になった。これに対してダンスシューズで踊ったダンサーは動きが滑らかで音もせず、つま先の伸びが見えてきれいに見えた。 L.A.ダンスプロジェクトの「Murder Ballades」同様、ズックは近くで見る分には気にならないが、遠くから見ると動きが切れるような気がしてならない。(3月18日La Comédie de Clermont)


©HermanSorgeloos

上記の「Vortex Temporum」上演前に、ケールスマイケルが2001年に創作した「レイン」が、パリ・オペラ座のレパートリーとなった時の制作過程を記録したドキュメンタリー映画が上映された。2011年の初演を見ていただけに、この映画は大変興味深いものだった。ローザスとは違う、新たな「レイン」の誕生だと興奮した記憶が蘇ったが、実際は困難を極めたようだ。5月末の初演のために、前年の10月からリハーサルが始まった。慣れない動き、未経験のリフトに戸惑うダンサー達。ケールスマイケルは思うようにリハーサルが進まないことにいらだちを覚えているように見える。その横で、バレエ団監督のブリジット・ルフェーブルも苦虫を潰したような顔でリハーサルを見守る。何しろ長年の交渉の末にやっと実現したプロジェクトなのに、こんな状態で本番が迎えられるのだろうかと心配している。初演まであと数ヶ月しかない。池田扶美代、しゃもとたか、シンシア・ロミ等のローザスの主要メンバーがコーチにきて、小グループに分かれて指導している。足の皮が剥け、思わぬところに痣ができている。振付だけでなく、衣装にも戸惑うダンサー達。ダンサーの一人が身体が壊れるという理由で辞めていった。確かにクラシックバレエとは身体の使い方が違うし、リハーサル中にも古典作品の公演が続いているから身体の調整は難しい。アシスタントの「主役級のパートがないのが理由じゃないですか」という言葉に唖然とするケールスマイケル。フラマン語、フランス語、英語が飛び交うのはリハーサル室だけではない。スタッフとのミーティング、ベルギーに戻ったケールスマイケルとの電話での打ち合わせ、プライベート。まさに戦争だ。
こんな苦労を知らずに公演を見る私たちは幸せだ。オペラ座版「レイン」。来シーズンのオペラ座での再演が楽しみだ。

今フランスで話題の振付家のひとりで、イスラエルからフランスに移住して精力的に活動している。経済的にも豊かになり(多分)、質の高いダンサーを選び、さぞかし思い通りの活動ができていることと思う。昨年のモンペリエダンスでは3つの新作を発表するという偉業をなし、振付を決めず、公演ごとに改訂版が出るというのも大きな話題となった。今回見た「The Goldladbergs」は、昨年発表された新作のうちのひとつだ。何カ所もツアーして回っているので、振付が変更されているといっても躍りこなされている作品のはず。しかし、私には額縁に入り、さらにガラスで防御された絵画を見ているような感覚だった。確かにダンサーは素晴らしい。技術力が高いということはこれほどムーブメントがクリアーに見えるものなのかと感動にも近い感覚を持ったし、川の流れが変化するようにダンサー達が流れ、ぶつかり、混ざる構成は目に優しい。しかし、肌に突き刺さるようなエネルギーは感じられないし、ダンサー同士、そしてダンサーと観客との無言の会話も見えない。ゴールドベルグ組曲での振付では音をよく理解したムーブメントにはっとすることもあったが、多くの部分で使われた牧師の言葉や礼拝の歌や会話との関係が見えなかったのと、ダイナミックにみえる急激な照明の変化は、流れを途切れさせてしまうように感じたし、何よりこれがフォーサイスのコピーに見えてしまった。袖近くで休んでいる仕草のダンサーが舞台上のダンサーを見つめるのは、フォーサイスのカルテットを思い出したし、ラストの大きな四角い天幕が降りてくるのもフォーサイス。そして気がつけば、バンジャマン・ミルピエのL.A.プロジェクト2で上演された「Morgan's Last Chug」とは、使用曲が違うけれども照明も構成も非常に似通っている。話題を作るために急ぎすぎているような気がしてならない。(3月25日 Théâtre de la Ville)


©Emanuel Gat Dance

幼くして亡くなった兄弟への思い。その語りが終わると宙つりの鈴木がぼんやりと浮かび上がる。その様子は羊水の中で泳ぐ赤ん坊、生を受けて天からの長旅をしているようだ。地に足がついたら独り立ち。へその緒も天からのしがらみもいらない。自分の人生、自由な人生が待っている。未知の世界では何もかもが珍しい。鏡のような床にはいつの間にか模様ができている。その向こうにはなにがあるのだろう。新しい出会いも困難もあるけれど、この世に生を受けたのなら前に進むしかない。「ママ、僕は永遠にママと一緒にいるよ」とご子息登場。暖かい作品だ。
美しく広がりのある照明と、計算された空間使いとオブジェの効果で、ここが小劇場だということを感じさせなかったのには感心した。(3月4日Théâtre des mains nues à Paris)


©Jean Michel Jarillot

振付家と作家のコラボシリーズのコンコールダンスは今年で8回目を迎えた。動きと言葉という異なるジャンルのアーティスト、しかも初めての出会いでどこまで作品が創れるか!? という未知の体験シリーズは人気上昇中で、毎年上演会場を増やしている。「劇場も良いけれど、図書館での公演の方が面白いよ」というディレクターの言葉に誘われて、普段は行かない図書館へ。しかも、図書館は入場無料なので、観客層が違って面白い。
今回の組み合わせは、Cécile Loyer+Violaine Schwartz、Hélène Iratchet+Pauline Klein、Fanny de Chaillé+Pierre Alferi、Myriam Gourfink+Eric Suchère(前者が振付家で後者が作家)。演劇はあまり見ないが、観客を前に演じることの少ない作家がどのような演技を見せるのかに興味があるし、台詞が理解出来なくても感じるものはあるのが舞台の面白さ。今年は上演回数が多いから、とのんびりしていたら結局2作品しか見られなかった。残念!
「Cécile Loyer+Violaine Schwartz」は、パリ郊外モントルイユの図書館で。平日お昼時のパフォーマンスなので、たまたま昼休みに図書館に行ったらパフォーマンスをしていたという感じで、通りがかりの人たちが足を止めて興味深そうに見ていた。入り口近くの小さな展示スペースに大きな机を挟んで向き合うふたり。テーマは記憶。作家のシュワルツが言った長いフレーズを、舞踊家のロイエが繰り返す。このシンプルな台本に簡単な動きが加わる。歩く、椅子を引いて膝を組んで座る、机の上に立つなどの日常の行為と、頭と頭を重ねたり、手を合わせたりするちょっとアーティスティックなポーズでアクセントをつける。見ている方も思わず一緒になって作家の言葉を繰り返してみる。日によって台本が変わるとのことだし、私が見た日は15分の短いバージョンだったので、長いバージョンを見たかったけれど逃してしまった。


「Cécile Loyer+Violaine Schwartz」

「Fanny de Chaillé+Pierre Alferi」は、リピュビリック広場近くの図書館。ここでは地下の一画を利用しているので本棚と通路がホリゾント。場所柄と時間帯か、出演者の知名度か、このパフォーマンス目的で来た人で満員御礼の席取り合戦。この混乱を冷めた目で見るシェレ。実は相棒のアルフェリが時間になっても現れないのをドタキャンされたと心配していたらしく、業を煮やしてこのパフォーマンスができた経歴を説明し始めた。そこに現れたアルフェリの姿にほっ。これで予定通り始められる。こちらはどちらかというと言葉の応酬。朝起きてから寝るまでの出来事を並べ立ててそれを分析したり、テレパシーで話し合ったり。彼のウクレレと歌でさわやかに終わった。


「Fanny de Chaillé+Pierre Alferi」

両作品とも作家の舞台度胸にびっくりする。前者のシュワルツは役者の勉強をしていたので人前で演じることには抵抗はないと言い、後者のアルフェリは初めての体験だったけれど、楽しんで演じたと言う。公演後の質疑応答で動きが少なかったと指摘されてシェレは、初めての出会いだったし短期間の制作なのでアルフェリにムーブメントをさせることは不可能だったと言うけれど、この様子だと次回は踊ってくれるかも。

若手振付家を応援するフェスティバルが3月6日から約1ヶ月に渡って行われた。期待していたフィリップ・メナールの公演はダンサーの怪我により中止になってしまったのが残念だったけれど、私が見た日は一晩に2公演3作品の上演で密度の濃い公演だった。見た順に。

ノンダンスを見慣れてしまった目には大変に新鮮だった。舞踏のようにゆっくりしたムーブメントと、それを引き立てる腕の速い動き。照明と影のコントラストが、衣装の黒と肌の白を浮き上がらせる。モダンダンスでもない、コンテンポラリーでもない、独自の振付と綿密に練られた構成は、これからのフランスダンス界に新たな風を送ることになるだろうと思う。ただ、振付が曲を追いすぎているのが単調なイメージになり、その向こうに広がる世界にまで至らないシーンがいくつかあったのが気になった。


©Nina Flore Hernandez

プログラムを読めば、数々の輝かしい賞を受けた作品。それだけのことはあった。 落ちる、崩れるの連続。速い動きと正確な止めが見事。腕で身体を支えたものの、がくりと崩れて肘へそしてつぶれる。ちょっとアクロバティックで豊富なムーブメントに引き込まれる。特にフロアーのムーブメントの面白いこと! 17分の短い作品だが、これだけ密度が濃ければ見応え十分。


©Christophe RAYNAUD DE LAGE/WikiSpectacle

今時の若者の夜を描いたと言うけれど、現代人の皮肉にも通じて、会場ではあちこちで笑い声が聞こえる。

・しらけ世代であまり物に動じないくせに、ちょっとしたことで切れて爆発→暴力。
・リズムの強い音楽に乗って頭を振るも、それが発展すれば無機質なロボット運動→行為のマニュアル化。
・どんなに暑くてもお気に入りのスタイルは変えない(彼らの衣装はダウンに毛糸の帽子を深くかぶっている)。
・服の脱ぎ方−他人の目を気にするか気にしないか。或は脱がされるのを待つか。
・他人任せに流れる構図。
・仲間の死。

こんなシーンが繰り広げられる。それぞれのシーンは面白いしダンサー達の体当たり演技に息をのむが、ここまで描写してくれたらと、オチを期待した私には終わりが甘かったように感じた。(以上3作品とも3月27日Théâtre Berthelot)


©Thomas Chopin

ダンス学校では、ダンサーのレジデンスを受け入れて活動を援助し、公演をするところがある。若手振付家にはありがたい制度だ。パリ郊外のヴィルジュイフのダンス学校で行われた公演は、入場無料なのに照明がきっちりと付いた本格的な公演だった。偶然にもアジア出身者の作品3本。

子供を抱くような腕の動きが、手のひらを大きく開いて何か大きなものを受け止めるような仕草になり、そして内にこもる。顔を少し右に引きつらせ、ゆっくりと斜めに進みながら悲しい顔になり、「舞はいるか?」。子供を捜す母親の姿と感情が交差する。大野一雄の姿と重なったのは、本質的なやさしさを感じたからだろうか。遠くから歌声が聞こえ、我に返ったように走り、床に転がっていた赤い風船を蹴飛ばす。その先には舞ちゃんが。母子出演に会場からは暖かい拍手。

静かに現れた身体がふわっと浮いたかと思うと、渦が巻くように下に落ち、滑らかに、波紋が広がるように、或は波が満ちて引くように床を流れる。急激な流れとその流れが淀む時。身体能力の高いダンサーで、これから注目されるだろう。身体の動きが音楽だというけれど、少し音楽が欲しかった。

在外研修員としてパリで研修する坂田守と長谷川まいこの新作。さすがにダンスのうまいふたりによる緻密な構成と繊細な感情に引き込まれる。精力的に活動をしているようなので、今後も上演機会を増やし、チャンスをつかんでほしい。ヨーロッパの流行に囚われず、更なる追求を期待する。(以上3作品とも3月29日Conservatoire de Villejuif)

今年も主に日本のコンテンポラリーダンスを紹介するダンスボックスが開催された。あいにく日にちが合わず、見に行けたのは3月7日のバージョンクリップだけ。これは15分ほどの短い作品が4本とホールでの即興が3作品。ちょっとずつたくさん見れるのも悪くない。
大竹千晴の「Lignes de fuite」はモノトーンで締めた。しなやかで美しい踊りに隣の人は思わず感嘆の溜息。ザ・バンビエストの「Trace」では容姿が全く同じ3人のダンス。映像を交えて、現実と心のつぶやきを交差させる。マンガチックな外見と今時の若者の風刺が気に入った。吉崎こうすけの歩くだけの「improvisation」も公演全体から見ると面白いアクセント。ホールでは、ナナミコウショウが放射能防護服と探知機を持って怪しい踊り。その横では川北真澄がギタリストの奏でる美しいメロディに乗っての踊り、小部屋ではジュリアンとシリルによるマイムと、統制があるようなないようなイベントだったが、いろいろ見れて開演までがあっという間だった。

昨年11月の昇進試験でプルミエール・ダンスーズに昇進したアマンディーンヌ・アウビッソンは、3月5日に上演された「オネーギン」のタチアナ役を踊って、エトワールに任命された。プルミエール・ダンスーズに昇格した今年1月1日からほんの2ヶ月と5日でエトワールになったことと、タチアナ役の評判が良くなかったにも拘らず昇格してしまった裏には、今シーズンで引退するダンス芸術監督のブリジット・ルフェーブルの焦りも感じられないでもないが、まだ24歳、これからエトワールにふさわしいダンサーに成長することを期待したい。


©Julien Benhamou / Opéra national de Paris

モンペリエダンス

34回目を迎えるフェスティバル・モンペリエダンスは、6月22日から7月9日まで。大衆向けからマニアまで、アンジュラン・プレルジョカージュ、エマニュエル・ガット、シディ・ラルビ・シェルカウイ、ウエイン・マックグレゴール、イスラエル・ガルヴァン、ヤン・ファーブル、ボリス・シャルマッツ、アロンゾ・キングなど、今年も多くの話題作が上演される。モンペリエダンスの本拠地アゴラも充実して、様々なイベントも用意されている。フランスではあまり見ることのできないSharon Eyal & Gai Beharと、Marlene Monteiro Freitasが気になるところ。また、オリヴィエ・ルメールとフローエレンス・プラタレッツによる舞台裏のドキュメンタリー映画も是非見てみたい。カンパニーメンバーによる無料公開レッスンも楽しみ!
http://www.montpellierdanse.com/festival-2014.html


©GREGOIRE KORGANOW COULISSES DEFILE DE CHRISTIAN LACROIX(2007)

夏のフェスティバルとしては、ウゼスダンス(6月13日から18日)と、マルセイユダンスフェスティバル(6月19日から7月12日)に重なるので、旅行がてらに3つのフェスティバルを回ることもできる。

http://www.uzesdanse.fr
http://festivaldemarseille.com/2013/

アヴィニヨンフェスティバル
アヴィニヨンフェスティバルのインは68回目を迎え、7月4日から27日まで開催される。3月末に行われたフランス全土の市長選挙の第1回投票で極右政党のフォンナシオナルがトップになり、即刻フェスティバルのディレクターであるオリヴィエ・ピーが「フォンナシオナル党がアヴィニヨンの市長になるならば、フェスティバルはアヴィニヨンを去らなくてはならない」とラジオで発言。市内のいくつかの劇場もこれに連呼したのが功を奏したのか、最終選挙では社会党議員が当選し、これで今年もアヴィニヨンフェスティバルは予定通り開催される見通しとなり、ほっと胸を撫で下ろした人も多かったと思う。ざっと見たところダンスでは、トマ・ルブラン、アルカディ・ゼデ、ロビン・オーリン、レミ・ポニファシオ、ジュリー・ニオッシュの名前が連なる。また、日本からは宮城聡の作品の上演も予定されている。サモアの振付家レミ・ポニファシオがかの有名な法王庁の中庭で上演するのは話題の一つ。また、スジェ・ア・ヴィフには伊藤郁女、小坂谷知夏、パリ・オペラ座のエトワール、マリー=アニエス・ジロの出演が予定されている。
http://www.festival-avignon.com
なお、詳しい公演情報は5月中旬に上記のホームページに更新される。


©68e dition du Festival d'Avignon - 2014 - couleur - Alexandre Singh, image extraite de la srie "Assembly Instructions, The Pledge (Simon Fujiwara)", 2012 / cration graphique Studio Allez

また、オフは7月5日から27日まで。こちらの公演情報は下記URLにて5月末に発表予定。
http://www.avignonleoff.com

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