ユーロ・ダンス・インプレッション

Recent Impression

Thomas Lebrun ''Dans ce monde'' La Comédie de Clermont-Ferrand
Mourad Merzouki''Folia'' La Comédie de Clermont-Ferrand
Dominique Boivin ''Road movie-Tenus de scène'' La Comédie de Clermont-Ferrand
Opéra national de Paris ''Don Quichotte'' Opéra Bastille
Wang Rairez ''Parts'' 104
Opéra national de Paris ''Ashton/Eyal/Nijinski'' Palais Garnier


街のイルミネーションが美しく輝き、クリスマス、そして大晦日を迎える準備に浮き立つ人々。しかし、コロナウイルスは蔓延している。クリスマス前日から新規感染者数が爆発的に増えて、10万人があっという間に30万人になり、2020年3月に始まったコロナ規制以来の最高値を更新した。すでにオランダでは少なくとも1月14日まで外出禁止、ベルギーでは劇場や映画館が閉鎖された。フランス政府は、2022年の大統領選挙を見据えてか、年末まではレストランや娯楽施設の閉鎖はしないと言う一方で、近遠距離電車内での飲食禁止など、少しずつ規制が厳しくなりつつある。感染は広がる一方で、感染などによる病欠で働き手が減って営業できない施設や、交通公共機関でも乗務員が感染して、来るはずの電車やバスが予期なく来ないことも。飛行機も欠航が出ている。もちろん舞台関係者も同様で、いくつかの公演は中止、あるいは人数を減らした短縮版での上演や、パリ・オペラ座ではオーケストラなしでの上演となった。芸術的アクロバットでブレイクしているカンパニーXYの公演が中止になったのは誠に残念だった。今年秋に日本公演が予定されており、それまでにコロナ禍が収まることを祈りたい。日本は外国人の新規入国禁止措置を2月下旬まで延長している。

それはまるで動く絵本を見ているようだった。ふたりのダンサーが旅に誘ってくれる。ポルトガル、スペイン、イタリア、モロッコ、中国。でもそこにはありきたりのイメージはない。ルブランが各国のイメージを独自の表現に置き換えているからだ。広島の原爆を題材にした「彼らは何も見なかった」では、日本だから日本の着物を着るのではなく、着物をベースにしたフレンチテイストの衣装で、ルブランが見て感じた世界がそこに広がっていたように、この作品もその国を特徴付ける要素をほんの少し仄めかし、その国を代表する音楽が流れることで、どの国かを想像しながら旅する感じだ。例えば中国。中国風の帽子と衣装をつけているけれど、動きは全くオリジナルで、中国風のポーズはない。それなのに、中国の広大な自然の中に生きる人や、賑やかな街の様子が思い浮かぶ。中近東の国では民俗舞踊をベースにした動きにコンテンポラリーダンスの要素を組み込むなど、一辺倒なイメージをコピーせず、ルブランのテイストを加えているために、見る側にとっては想像の幅が広がるのだ。そこが面白い。
ただ残念なことは、出演ダンサー4人のうちひとりが感染したために40分の短縮版になり、日本のシーンがカットされていたこと。いつか完全版を見てみたい。(12月2日クレルモン=フェラン市コメディ劇場)


©Frédéric Iovino

フランスのヒップホップダンスは、コンテンポラリーダンスに近いと言われることがある。フランスでヒップホップダンスの第一人者と言われるムラド・メルズキは、バロックオペラとの合体を図り、ヒップホップもここまで洗練されたか! と思わせる作品だった。
大きなぼんぼりのような装置が半回転すれば、そこにはリュートを演奏する人がいて、ダンサーはその優しい音色に合わせて踊っている。もちろん踊りはヒップホップで、テクニックもバッチリ。歌手が登場すればミュージカル調にもなる。ホリゾントの後ろに控えた楽団がバロックから軽音楽まで幅広いジャンルの音楽を奏でれば、ダンスだってヒップホップ、コンテンポラリー、トウシューズのバレエまで多彩な踊りで応える。あらゆるダンスが詰め込まれている全く欲張りな作品で、ここまでやれば次にすることがないのではないかと余計な心配をしてしまうほど。でも、次の新作もすでに上演されていて、どこまでヒップホップダンスの可能性を広げていくのかと、全く目の離せない振り付け家だ。(12月7日クレルモン=フェラン市コメディ劇場)

©julie cherki

©gabrielle tacconi

ドミニク・ボワヴァンがなぜ超メジャーでないのかが不思議だ。ユーモアたっぷりに独自の視線で社会を分析した作品などを作っていて、1978年には初めて作った作品が、バニョレ国際振付コンクールでユーモア賞を受賞しているし、アヴィニヨンフェスティバル・インにも招待されてソロで踊っている。その前にはパリ・オペラ座の振り付け研究グループ(GRCOP)のメンバーでもあった。その才能は早くから開花していて、いわゆる80年代のフレンチヌーベルヴァーグの騎手のひとりでもある。そして当時の騎手たちが振り付けに回る中、69才になっても作品を作り、舞台で踊っている。そこがすごい。しかもこの作品はソロで2時間、ほとんど出ずっぱり。5人のダンサーがひとりずつ踊る場面があるから1時間半が彼のソロというけれど、ゲストのダンサーと一緒に踊る場面もあるから、1時間45分は舞台にいる計算になる。

真っ暗な中を小型ライトで照らされた足がスタスタと歩き、下手の本棚へ。そこにはたくさんのオブジェが置いてあった。オープンリールテープをオンにすると、子供の頃の思い出から現在までの語りが始まる。それに合わせて衣装を替えながら踊るボワヴァン。6歳でアクロバットダンスを始めたけれど、1950年代の当時に男の子が踊ることは奇異の目で見られたそうで、それを見た父親に連れて行かれた最初の柔道のクラスでは、意地の悪い相手に新調したばかりの柔道着を引き裂かれ、それ以降二度とクラスに戻ることはなかったというくだりに会場から笑いが起こる。10歳から18歳までクラシックバレエを習い、その後コンテンポラリーダンスに転向した身体には、バレエの基礎がしっかりと身についていて、優秀なバレエダンサーだったことが見ていてはっきりわかる。自分の経験にダンスの歴史を織り込みながら、ナレーションと踊りで見せるこの作品は、2018年から始まって改訂を繰り返し、今年2021年には、5人のゲストを迎えて2時間の作品となった。パスカル・ウバンがフィリップ・ドゥクフレとのデュエット「ル・プティット・バル」をひとりで踊り、ダニエル・ラリューが自身の映像をバックにソロを踊る。ウバン、ラリュー、ボワヴァンは仲良し3人組で、「アン・ピスト」で2015年に日本公演を行っている。そして若手のヤン・ラバランとボワヴァンが肩を並べ、フィリップ・プリアッソーがクレーン車とのデュエット「Transports Exceptionnel」を屋外パフォーマンスのビデオの前で踊る。この作品はいまだにツアーの日程がぎっしりという人気だ。そしてボワヴァンが20代の頃に踊ったデュエットを当時のままに、ドミニク・ルボーと40年前の映像の前で踊るのだが、ボワヴァンの踊りがシャープでかっこいい。本当に優秀なダンサーだったのだ。
ボワヴァンのダンス人生が凝縮された作品は、公演後のトークでさらに面白くなった。さすが踊りを追求し続けた出演者たちの言葉には重みがある。踊ることの素晴らしさ、踊ることで人と繋がり、さらに自分の内面を深める。それらの言葉には実感がこもっている。その中でドミニク・ルボーの「年をとるというけれど、40年経って同じ作品を踊っても、何も失っていないことに気がついたんです。失っているどころか新たなものを発見し、さらに密度が濃くなっている」こんな言葉でトークを終えた。きっちりと基礎が体に入っているから、40年経った今も見事なダンスを披露できるのだろう。
トークでは「この作品の続きを考えている」と言っていたから、これからもこの作品は改訂し続け、ボワヴァンは踊り続けていくだろう。
2003年と2015年に日本公演をしているけれど、作品の中で日本公演が中止になったことを憤慨していた。よほど悔しかったのかな。ダニエル・ラリューがメインの「オン・ピスト」でボワヴァンのよさが十分に発揮されていなかったように思うので、ぜひこの作品で日本再上陸してほしいと思う。(12月16日クレルモン=フェラン市コメディ劇場)

©gabrielle tacconi

ホンジ・ワンとセバスチャン・ラミレズのふたりによるカンパニー・ワン・ラミレズ。踊りもうまいが空間構成も素晴らしく、映画を見ているような感覚の作品から、子供まで楽しめる作品まで幅広い作風で毎回新たなものを見せてくれる。ロングランの「ウイ・アー・モンチッチ」は、今シーズンのパリ・オペラ座の子供向けプログラムにも選ばれている。

今回は「パーツ/Parts」と題して小品4作品が並んだ。
衝撃的だった最初の「Beautifl me」は、異国の地から異次元への旅だった。中近東の音楽が流れ、円形に置かれたバスケットシューズがひとりでに移動し、音楽がカットアウトされたらいきなり重力がなくなったような世界にタイムスリップ。「スペース」「エスケープ」「ここに私がいる」そんな言葉をバックに、白い袖なしのシャツにショートパンツの女は体をくねらせ、瞬間で変わるライトに合わせて、激しくポーズを変える。マチルド・リンのシャープな踊りに目が離せない。すると土を巻き上げながら踊る女の後ろに白いものが見えた。羽のように見えるものが映像なのかスモークなのかわからない。天使の羽のようにX字になり、それが一瞬にして広がって天に舞い、女は崩れた。布は自由自在に形を変える。床に落ち、ひとつの角が持ち上がり、そしてくねりと方向を変える。それはスクリーンのように大きく広がることもある。まるで意思を持って動くかのような布。その下で女は激しく、優しく、艶やかに踊り、白い衣装は次第に土に塗れて茶色くなっていった。

続く「Digilegs」は、 重い金属音が響く中、白くて長い棒を持つ男がひとり。棒がひとりでに動いているように操るのはカンパニーの代表ラミレズだ。棒は時に固定され、時に勝手に動いている。そこに金属の足をつけた現代の牧神パンが現れた。そこから戦いにも見えるふたりの駆け引きが始まる。棒を取った方が有利なのか、パンの金属の足を砕いた方が有利なのか、緊迫した空気が流れ、やがて牧神はスーッと姿を消した。ギリシャ神話のパンだけれど、聖書の中でキリストが見えない神と戦う場面を思い出した。

そして「Flag」。白い四角い布が中央に敷かれている。そこに男が一歩足を踏み入れると布が持ち上がり、布から出れば平らになる。 ためらっていた男は布の中央に進み、布とともに歩き、やがて彼は包まれ宙に浮いた。その布から足が出てスカートのように布をまとい、無重力空間を散歩する男の物語。

舞台前に立った人が2本の太いロープを重そうに引っ張りながら舞台後方に移動し、それをスタッフが何かに接続させると、後ろから黒いスペースが現れた。水が薄く敷かれたところに赤い椅子が一脚。ラストの「ウオーター/Water」の始まりだ。ドライアイスの雲の中を歩く男と女は、愛し合い、時に喧嘩をし、挑発し合う。水に触れ、床を感じ、そして空気を吸って踊る。これまでの宇宙的感覚から、足を地につけ、日常に戻る。
空から地へ旅をしたような作品だった。

©Andrea Macchia

ワン・ラミレズはこれから3週間のレジデンスを104(ソン・キャトル)で行う。2022年4月の新作発表が楽しみだ。(12月18日104ソン・キャトル)

パリ・オペラ座のダンサーにクリスマス休暇も正月休みもない。今年は「ドン・キホーテ」がバスティーユ・オペラ座で、「アシュトン、エイアル、ニジンスキー」のコンテンポラリープログラムがガルニエ宮で1月2日まで続き、大晦日も元旦も営業中。ただ、残念なことは、出演者にもコロナ感染が広まっていることで、「ドン・キホーテ」は所見した17日から、「コンテンポラリー・プログラム」は12月上旬からオーケストラなしでの上演。休演にならないだけラッキーだったと思うしかない。録音はそれぞれ演奏するはずだったオーケストラの演奏を録音したものだった。


ドロテ・ジルベールとユーゴ・マルシャン
©Julien Benhamou/Opera national de Paris

「ドン・キホーテ」の配役は、キトリにヴァランティーヌ・コラサント、レオノール・ボラック、ドロテ・ジルベール、セウン・パクで、1日だけエロイーズ・ブルドンが配されていた。バジリオにはポール・マルク、ユーゴ・マルシャン、ジェルマン・ルーヴェのエトワールに混じって、コリフェに昇進が決まったばかりのギヨーム・ディオップが抜擢された。彼は5月の「ロミオとジュリエット」でジェルマン・ルーヴェが怪我で降板したために急遽舞台に立つことになり、ボラック相手に見事なロミオ役を踊ったことで、オペラ座の期待がかかっている感じだ。
今回所見したのは、ドロテ・ジルベールとユーゴ・マルシャン組。さすが舞台慣れしたエトワールだけあって、小さなミスをうまくアドリブで埋めたのが印象に残った。弘法の筆の誤りをアートに変えるという感じだろうか。第1幕の街の広場の場面で、ギターを受け損ねたマルシャンは、肩をすくめてぺろりと舌を出して、まあこんなこともあるさとキトリのふたりの女友達と笑っている。余裕綽々だ。キトリをリフトした時も危うい場面があったが、見事に修復。ピルエットのサポートも、重心を失いかけたキトリをすかさず修正。ドロテ・ジルベールも3幕のグランフェッテにダブルを入れて安定しているかにみえたが一瞬崩しヒヤリとしたが、それを見事に立て直してきっちりと終えた。ふたりともさすがのエトワール! と敬服。
最初からミスの連続を書いてしまったが、それ以外ではテクニック的にも演技の面でも完璧だった。特にジルベールは、バジリオが街の踊り子をナンパすることに苛立つ表情、バジリオのラブ攻撃をかわして焦らす表情、ドン・キホーテを少し馬鹿にしながらも楽しく踊る時など、決して品が良いとは言えない表情を連発。街の人気者で快活な娘という印象に好感を持った。一方のマルシャンも踊りはミスなく、バッチュは足を打つ音が聞こえるほどの強く、演技の面でも2枚目と3枚目をきっちり切り替えて文句の付け所がない。


ドロテ・ジルベール
©Julien Benhamou/Opera national de Paris

ドルシネラのオニール八菜は、優雅で清楚で美しい。アラセゴンからアチチュードへのフェッテで踵が落ちるというミスがあったのが悔やまれる。と思ったのは私くらいで、多くの観客はオニールを絶賛。小さなミスよりその存在感に酔いしれていた感じだ。
その他、印象に残ったのがキュピドンのマリーヌ・ガニオ。小気味で軽快、安定した踊りに大きな拍手が沸いた。
サンチョ・パンサのユーゴ・ヴィグリオッティは流石だ。メインで踊る時だけでなく、舞台の隅での小さな演技にも手を抜かない。オペラ座にとって貴重な存在のはずなのに、なかなか昇進できないのを残念に思う。
街の踊り子役のエロイーズは妖艶だった。衣装がセクシーだったこともあるが、キトリよりも華やかに見える瞬間があるほど。その相手役のフロリアン・マニュネは、女好きの伊達男だけれど、2枚目半で笑わせる。見るたびに奥行きを深めている感じで、次のエトワールと期待したい。


ファニー・ゴルスとロクサーヌ・ストヤノフ
©Julien Benhamou/Opera national de Paris

また、キトリの女友達を踊ったファニー・ゴルスとロクサーヌ・ストヤノフが素晴らしく、ぺちゃくちゃふたりでおしゃべりする様子が楽しそうで、舞台のどこにいても目が自然と行ってしまう。特に昇進試験でプルミエに上がったロクサーヌはキラキラしていた。
昇進試験の結果はダンサーを大きく変える。2幕のジタンを踊ったブルーエン・バティストーニとイネス・マッキントッシュもよく踊っていたが、特にマッキントッシュは3幕のバリエーションでの溌剌とした踊りが舞台をさらに明るくしていた。


イネス・マッキントッシュ
©Julien Benhamou/Opera national de Paris

昇進試験の在り方に異議を唱える人もいるが、昇進するしないに拘らず、チャレンジすることで新たな面を引き出す結果にもなっているように思う。外国人観光客の姿は少なかったが、ほぼ満席のバスティーユ・オペラ座だった。(12月17日オペラ座バスティーユ)

さて、コンテンポラリープログラムは、フレデリック・アシュトンの「ラプソディ」、シャロン・エイアルの「牧神/Faunes」、そしてヴァーツラフ・ニジンスキーの「春の祭典」のトリプルビル。残念ながらこちらもオーケストラなし。すでに2週間近く生演奏が聞けない状態だと聞いた。所見数日後には「ラプソディ」もダンサーにコロナ陽性者が出て上演されなかった日があったという。

その「ラプソディ」は、メインのソリストの女がリュドミラ・パリエロ、セウン・パク、ミリアム・ウルド=ブラーム、男がパブロ・レガサ、マーク・モロー、フランチェスコ・ミュラ、フロラン・メラックが交代で演じ、所見した日はウルド=ブラームとメラックのコンビだった。若手の溌剌とした踊りは気持ちが良いが、残念ながらエトワールとの差は否めない。


「ラプソディ」©Yonathan Kellerman/Opera national de Paris

原色の装置と衣装が印象的で、ブルーと濃紫の衣装の群舞に真っ赤な衣装の男が現れた。すらりとした甘いマスクのフロラン・メラックはまだスジェ。少し硬い出だしだったが次第にほぐれ、ソロのパートではなかなか良い踊りを見せてはいたのだが、ウルド=ブラーム相手に踊る段階になると緊張感が感じられてしまう。しっかりきっちり踊ることに一生懸命で、楽しんで踊る姿が感じられなかったのが残念。それに比べてウルド=ブラームは軽やかで、サラリと風に舞うように踊り、広い空間を埋める広がりを見せる。手先からキラキラと輝く星が飛び散るように感じる場面が強く印象に残った。

群舞の中にはコリフェに昇進を決めたばかりのクララ・ムセーニュと、スジェへの昇進を決めたジャック・ガシュトゥットがいた。ムセーニュは、2020年に入団した17歳とは思えない存在感で、明るく軽快に踊る姿に思わず目がいってしまう。一方のジャック・ガシュトゥットはジャンプが高く、技術的にも優れていたが、表情が固いのが気になった。
ストやコロナ禍で2年近く舞台に立つ機会が激減したことは相当なダメージを及ぼしたと思うが、多くの若いダンサーに舞台に立つ機会を増やそうとするオペラ座側の姿勢が感じられる舞台だった。


「ラプソディ」(後列中央)クララ・ムセーニュ
©Yonathan Kellerman/Opera national de Paris

続くシャロン・エイアルの「牧神」は、なんとも不思議な魅力を持った作品だった。音楽はもちろんドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。しかしここにはニジンスキーが振り付けしたようなニンフは出てこないし、欲情もない。エイアル独特のつま先立ちでの歩きと、胸を反らせてお尻を突き出したポーズなどのどう見ても美しいとは言えない動きが連なり、そこに物語があるわけでもなく、ただ8人のダンサーが存在するだけなのに、なぜか食い入るように見てしまう。醜い形を取っても、オペラ座のダンサーだから美しく見えるのだろうか、いや、そうではないだろう。そこにはなんとも言えないセクシーさが漂っているのだ。それは今までに見たこともないものでもあった。マリオン・バルボー、キャロリーヌ・オスモン、ニンヌ・セロピアン、マリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナセ、エロイーズ・ジョックヴィエル、シモン・ル・ボルニュ、アントニン・モニエ。若手の個性のあるダンサーたちによる新たな牧神の誕生だった。この中でマリオン・バルボーから目が離せなかった。彼女は均整の取れた体をさらに美しく見せる術を知っている。ほんの少し膝を寄せる、ほんの少し体をくねらす、それだけで他のダンサーにはない美しさが出るのだ。


「牧神」©Yonathan Kellerman/Opera national de Paris

さてラストのニジンスキー振り付けの「春の祭典」は、緞帳からすでに「春の祭典」だった。ほっぺたを赤く塗り、腰を曲げ、内股でポーズ。決して美しいダンスとは言えないこの作品が、当時はどれだけスキャンダルだったかが容易に想像できる。
ニジンスキー以降に多くの振付家が独自の「春の祭典」を創作しているが、このニジンスキー版には男の戦いも女の場面もなく、村人がいて、巫女がいて、長老がいて、祭りの準備をしている村の一場面という感じで、音楽の捉え方が大きく異なるのが興味深い。また、生贄は選ばれたことに対する激しい踊りはなく、ただ静かに受け入れていた。生贄役にはエミリー・コゼット、アリス・ルナヴァン、レティツィア・ガロニ、ジュリエット・イレールが配役され、所見した日はガロニだった。


「春の祭典」©Yonathan Kellerman/Opera national de Paris

新たにレパートリー入りしたこの作品は、ニジンスキー研究の第一人者と言われるドミニク・ブランが関わっている。(12月20日パリ・オペラ座ガルニエ宮)


「春の祭典」©Yonathan Kellerman/Opera national de Paris

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