ユーロ・ダンス・インプレッション

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大きなフェスティバルに押されて少々影が薄いけれど、南仏のダンスフェスティバルはユゼスから始まる。日程の都合でご無沙汰していたが、ほぼ10年ぶりで訪れた街は昔と変わらず、中世の面影を残す曲がりくねった石畳の道はジャスミンの香りで満たされ、なんとも気持ちが良い。公爵が住む城、中世の庭、エルブ広場、サン・テオドリ聖堂。何ひとつ変わっていない。公演会場もエヴェッシェ庭園の屋外劇場がメインで変わらず、新しくサン・テティエンヌ教会が会場となっていたのが新鮮だった。
今年のフェスティバルは、6月第2、第3の週末だけに凝縮されていたが、若手の振付家を紹介する魅力的な演目で、迷った末にオープニングに行くことにした。

街に到着して一休みしてから向かったのが、サン・テティエンヌ教会。現在使われている教会がダンス公演の会場になることが意外だったが、理解のある牧師のおかげで、新鮮な気分で作品を見ることができた。
夕方5時といえど、南仏の太陽は容赦なく肌を焼く。日本に比べて湿気がないから爽やかなはずだけれど、汗が滴り落ちる。ようやく教会のドアが開いて中に入れば、今までの暑さが嘘のようなひんやりした空気が肌を包む。重い黒幕の向こうは、サーカス小屋のように階段状のベンチが三方に置かれ、その中央には黒の紗幕で囲まれた3メートル四方の小さなステージがある。その中でゆっくりと動くふたつのシルエット。人なのか獣なのか、頭がいびつで異常に大きく、ひとつはうずくまり、もうひとつは紗幕に沿ってゆっくりと歩いている。次第に明かりが入ってくると、ふたりの女性が服を何枚も身体中に巻きつけていることがわかった。それを一枚一枚脱ぎ捨て、ふたりの手が繋がった瞬間に、何かが弾けた。
カンパニー・ザンパ、マガリ・ミランとロミュアド・リュイドゥリンの「Bleu」は、紗幕という薄い膜で仕切られた小さな空間での、不思議な物語。冒頭の人間とも獣ともつかないシルエットは、荒野を旅する遊牧民に見えた。それがジーンズの現代人になり、服が剥がされれば、そこには怯え、拒み、それでいて挑むような女性の姿。その白い肌の後ろに現れた魚の頭をした人。しなやかに動く腕とは対照的な黒くて重いブーツ。いくつもの出来事が暗闇の中からふっと現れては消えていき、ミステリアスな夢を見ている感じ。タイトルにとらわれず、カンパニー特有のシュールな世界を楽しむのが良い。


©Laurent Paillier

エヴェッシェ庭園に行くと、なんとワインの試飲会。6種類のワインとそれに合う一口サイズの前菜も用意されていて、これから公演を観るという緊張感が一気に崩れる。飲み過ぎに気をつけなくてはと自分を戒めながら歓談して、空のブルーが色濃くなった頃、エヴェッシェ庭園の屋外ステージでガエル・ブージュの新作「Conjurer la peur」が始まった。
このところ続いている絵画シリーズで、今回は中世のイタリア。開場時、ダンサーたちは大きなテーブルで談笑している。客が落ち着いたところで、ブージュ自身の解説による美術案内が始まった。まるで美術館を訪れているように、「ここは戦争の間」「ここは平和の間」と説明しながらその部屋に入った時の印象を語る。ダンサーたちはガイドに従い、絵を鑑賞している雰囲気。それがいつの間にか絵画に描かれた人物を演じ、時にマンガチックな表情を交えて動いている。中世に女性の裸が描かれているのは珍しいとか、ズボンの裾を捲り上げることはあり得ないはずなのに、絵にはちゃんと描かれているとか、絵画に疎い私にはなかなか新鮮な解説で、いつかブージュにガイディングしてもらいたいものだと思う。戦争、そして平和。平和の神が何を語るのか、いや、当時は平和というより裁判官が描かれることが多く、善と悪を審判しているものが多いという。そして現代の戦争やテロ。昨年のニースでのテロを目撃した人の話は生々しい。戦争と平和は形を変えながらも繰り返され続けるのだと締める。
ブージュの解説を、視覚的に表現する演技者たち。観客になり、絵画や彫刻の人になり、当時の人になって輪になって踊る。耳と目からの説明でわかりやすい上に、コケティッシュな表現や動きもあって、ライブ美術鑑賞的なところが気に入っている。どう見てもダンサーでない人がいたが、彼らの個性が作品に必要だったからという明快な回答で、これまた納得。(6月10日Jardin de l’Évêché)


©Laurent Paillier

翌日は12時からの「キューバのアペリティフ」へ。サルサ音楽に乗って、楽しくワイワイやるのかと思ったら、次に始まる映画の作成者クリストフ・アレブとのトークで、アルコールなしのさわやかドリンクとともに、アレブがキューバの生活を紹介。予定表に「ディスカッション」と書いてあったのを見逃したのがいけないのだけれど、外されたと思いつつも、見知らぬ国キューバに思いを馳せた。これだけキューバの話を聞いたら、映画は絶対に見たくなる。しばらくの休憩の後に始まったダンスのドキュメンタリー映画「UN SUEÑO DESPIERTO」は、キューバで出会った若いダンサーが主役だ。
工事の途中で放棄されたようなコンクリートむき出しの高層ビルの一角。わずかな隙間から頭を出して、下界を見下ろす。コンクリの壁にもたれ、走り、空を見上げる。孤独を楽しむダンスだ。一転してアパートの一室で、出かける用意をする若い男。ダンスと日常が交差する。第2部は、男友達同士が肩を組んで街に繰り出し、歩きながらのインプロ。これがめちゃいい。電柱の周りをくるりと周り、細い路地の壁をよじ登り、組んだ肩をずらしてコンタクト。歩きながら街のオブジェとのインプロが自然でナイス。そのあとは劇場で恋人と戯れる。遊びともダンスともつかないインプロが面白いし、愛し合うもの同士は誰にも打ち破られることはない強い絆で結ばれているのが見えて素敵だった。しかも美男美女。ちょっと嫉妬してしまった。第3部は建物の階段でスター気取りで踊る女性が街に出て、恋人と落ち合う。もうひとりの女性は、洋服を引っ張り出して今日の気分の服選び。10代の若さが眩しい。そして、おばあさんの優しい目に見送られて外出。いつもの場所でみんなと落ち合って、秘密の隠れ家へ。ここの中庭でクレープを食べながらの踊りが、4人の仲の良さを見せていて、なんとも微笑ましい。
3本を通して感じたのは、若いダンサーたちが自由で解放されていて輝いていること。それにテクニックばっちりだし、ダンスが完全に日常の一部になっているのがいい。30分の映画が3本立て続けだったけれど、あっという間に時間が過ぎた。
ところで、映画が上演された場所Au Lavoirは見つけるのも一苦労の意外な場所で、サン・テオドリ聖堂脇の広場の下というか、環状道路から外へ抜ける細い小道を下ったところにあって、どう見ても廃屋。高台の広場を作った時にシャペルとして作られたのか、物置小屋だったのかわからないが、長年放置されていたからか、内部の石垣からは雑草がはみ出し、蔦が絡まっている。入り口ドアの上の空気や光を取り入れる窓は、外から見れば装飾のある柱だが、内側から黒のビニールを張って遮光するというなんとも安易な措置だけれど、知る人ぞ知るの隠れ家的存在でなかなかよろし。


au Lavoir

ローラン・ピショーの「INDIVISIBILITÉ」をサン・テティエンヌ教会に見に行って驚いた。昨日見た「ブルー」は小さなスペースだったのに、今日はだだっ広い教会そのまま。椅子が撤去されてがらんどうの教会って、こんなに広くて天井が高いのだなあ。それにしてもたった1日で会場をこんなに変えてしまうなんて、スタッフも頑張っているなあと感心。外は汗が滴り落ちるほどの暑さだけれど、教会内部は涼しい。昨日の公演では冷えてお腹が痛くなったので、あちこちに置かれた絨毯には座らず、端の椅子席へ。コートを着てきた人を笑えない。本当に冷える。などと思っていたら、ピショーが出てきた。
ローラン・ピショーはデボラ・ヘイに大きな影響を受けていて、いかに自然に即興ができるかを追求しているようで、そこにあるものを日常の動きでこなしていく。17時という時間にだけ差し込む光を利用したり、暖房をつけたり、ピンポン球がたくさん出てきたり。十字架に見えたオブジェがバッと緑に輝けば、薬局の看板で、神も薬局も確かに人を救ってくれるところが共通点なのかと新たな発見。このように面白いアイディアはあるのだが、それがうまくまとまらない。途中でトークが入ったが、石造りの壁ゆえにエコーがかかって聞き取りにくく、かなりの集中力が必要となった。色々な意味で場所が広すぎたのが裏目に出たのと、ノンダンスの見せ方の難しさを感じてしまった。


©Laurent Paillier

前半最後の公演を観に、エヴェッシェ庭園へ。高台から広がる森とはるか向こうの山を眺めて気分を改めてから会場へ。今夜は若手ふたりのソワレ。マリカ・ダルディの「SA PRIERE」はランコントルで見ていたが、この2年でずいぶん良くなったと思った。BGMの実母の会話に反応して振り付けているのだけれど、見せようという意識よりも、素直に台詞と向き合っているのが見えてきたことに好感を持った。舞台と客席の距離があったことも良かったのだと思う。時にリミットを知らない子供のように暴れ、時に従順に。母に対して子供であり、娘であり女でダンサーである理由がここにある。


©Laurent Paillier

もうひとりはパウラ・ピィの「ECCE (H)OMO」。小柄で華奢で、優しい顔のピィは中性的。その彼がジーンズ姿で、20世紀のドイツ表現主義舞踊で活躍したドーレ・ホイヤーにインスピレーションを得た小品を踊った。虚栄、欲望、恐怖、憎悪、愛をテーマに、語りを入れながらの踊り。正座したまま前に進みながら手を動かすだけの「愛」が好きだったのだが、なぜ舞台後ろから客席に向けて左右それぞれ8個のライトがついたのだろう。逆光になり、ダンスが見えにくく、効果が半減するように思ったのと、よく踊っているけれど、魂が入りきっていないように感じたのが残念だった。


©Laurent Paillier

以上が前半のプログラムだったが、翌週の後半はもっと盛り上がり、大成功を収めたという話を聞いた。山椒は小粒でもピリリと辛い、ユゼス・ダンスフェスティバル。来年を楽しみにしよう。

http://www.uzesdanse.fr

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