ユーロ・ダンス・インプレッション

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身体展示的作品というイメージが強かったジル・ジョバンだが、前半は動きの流れがあり興味深く見た。曲線と直線を意識した振り付けで、手も足も身体のあらゆる部分、そして身体そのものが円を描きながら踊っていたかと思うと、それらが直線に変わる。単純な曲線と直線なのに、身体が大きく変化し、次元が大きく変わっていくのが面白かった。が、その後ぬいぐるみが出てきてからは、いつもの展示作品になってしまった。手にウサギのぬいぐるみをつけた男が舞台を左右し、その周りを女性が走る。その女性を止めるに至ってはテレビゲームを連想させ、馬のぬいぐるみに埋もれてダンサー4人が絡まってごろごろされても、プログラムに書いてあるような子供の頃の遊びには見えず、いい年のおじさんとおばさんが何をしているのだろう、と首を傾げてしまった。最後のクラクションと馬のぬいぐるみは、現代への批判と読み取れなくもないが、前半の振り付けが面白かっただけに、後半も動きで締めてほしかった。(12月1日テアトル・ド・ラ・ヴィル)


(C)ThierryBurlot

マース・カニングハムが亡くなり、オマージュ公演になってしまった。それにしても高齢で亡くなる間際まで新作を作り続けていたということは驚異的なことだ。カニングハム独特の動きと作風は変わらないが、ダンサーのテクニックの高さには驚くべきものがあった。バランスを崩しそうになってまで難しい技をしなくてもよいのに、というのが今までの率直な感想だが、今回のダンサーはそれらを無難にこなし、無用な心配をしながら作品を見ることはなかった。構成と装置のダイナミックさはなかったものの、シンプルだが鍛えられた肉体でしか表現できないものを見せてくれた。これがダンスの醍醐味でもある。そして明るい未来を予想させるような、見ている側に希望を感じさせるような終わり方に、カニングハムの永遠のメッセージが込められていたように思った。(12月2日テアトル・ド・ラ・ヴィル/フェスティバル・ドートンヌ)


(C)Anna Finke

カニングハムへのオマージュとして企画された新作。David Vaugham著作の「マース・カニングハム、半世紀のダンスの軌跡」をそのままダンス作品にしたといってもよいであろう。つまり、ボリスが客席最前列でこの本を開き、そこに出てくる写真と同じポーズをダンサーがとるという構成。もちろんポーズの合間にはダンスがあるのだが、これはボリス風カニングハムで、ダンサーたちが全身タイツやら原色のタイツをはいて舞台を駆け巡る。あいにくカニングハムのダンサーほどテクニックはないが、フーワ・ディモビリテを始めとする個性の強いダンサーたちのくそまじめと遊びの間をいったり来たりするような動きに、思わず笑ってしまう。ダンス以外にもジョン・ケージのピアノ演奏の様子や、カニングハムがコンピューターをいじる動作も出て、ボリスの頭の中でイメージされたカニングハムが舞台に飛び出したという感じだった。(12月8日アベス劇場/フェスティバル・ドートンヌ)


(C)Sandro Zanzinger

テアトル・ド・ラ・ヴィルの広い舞台に、まるでこれからリハーサルをするかのようなラフな格好で、バッグと水を持って現れたセドリック・アンドリュー。素明かりの中、淡々と自分を語る。踊りを始めた理由、学校で、そしてプロとして働き始めた時のこと、そしてマース・カニングハムとの出会い。彼はマース・カニングハムの主力ダンサーとして長いこと踊っていた。しかし彼によると、毎日のレッスンの前半は退屈だし、リハーサルに入ってもカニングハムはほとんど踊れないから、コンピューターで示されたどう考えても不可能なテクニックをしなくてはいけなかったことや、全身タイツで踊ることへの抵抗など、100パーセント満足していなかったことが伺える。とはいえ、彼はカンパニーに8年もいたのだ。語りながら作品の一部を踊ってみせる。そして、フランスに戻ってからのこと、好きだった作品のこと、そして今思っていることを語る。以前にジェローム・ベルがオペラ座のダンサーであるヴェロニク・ドワノーに振りつけた作品と同じコンセプトで、そのときにも感じたが、プロのダンサー裏側をのぞくのは興味深い。そして、彼は根っからのプロのダンサーなのだと思った。この才能のあるダンサーがこれからどのように成長を続けて行くのかに大変興味を持った。(12月14日テアトル・ド・ラ・ヴィル/フェスティバル・ドートンヌ)

(C)Cédric Andrieux

生け花とコンテンポラリーダンスが舞台で同居する? 私からすると想像もつかない公演だった。既に見た人からは「すばらしい、美しい」などの言葉を聞いたが、どうせフランス人が見たことのない日本文化を見て感動しているだけなのだろうと思っていた。ところが、本当に「美し」く、日本の美の再発見だった。そこには、花だけでなく、舞台や空間、そして自然の恵みにまで対する尊敬の念さえも感じられた。心地よい緊張感。欧米人とは違う、日本ならではの控えめな歩き方、正座から立つまでの動きの美しさ、盆の上にあった花が、 立ち、花器に生けられ、生命を持つ瞬間の空気の変化。生け花は決して静の美ではないということに気がついた。生け終わった花を見せるのではなく、生ける過程をも含めて生け花の美を見てほしいと言う奥平清鳳の意向が見事に現れていた。そして、花を生ける奥平清鳳を、無垢な子供のようにいたずらっぽい目で見るエマニュエル・ユン。花を生け終わってからは、2人のパフォーマンスが始まるが、今度は舞台全体を一つの絵画として作り上げていく。丸い盆は立てかけられて月になり、まるで猿蟹合戦のように2人が戦ったときに振り回した紐は、ゆるりと弧を描いて川となる。時の流れと空間芸術に包み込まれた一夜に、公演後も席を立たない人がたくさんいた。日本にしばらく滞在していたエマニュエル・ユン。フランス人から見た日本の文化が、日本人から見た日本の文化ではない方法で表現された時、得てして新鮮なものを感じることがある。この作品は今年2010年9月に東京と横浜で再演されると言う。日本の文化を知っているようで知らない私たち。ぜひ見てほしい。(12月10日Maison de l’Architecture/フェスティバル・ドートンヌ)


(C)Marc Domage

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